希死念慮の日
今日は希死念慮が強いんですよね。誰かと話したらましになるかな?と思いつつ、平日のみなさんの都合を思うと巻き込めない。あすは変更で作業療法士さんが来られるから待つかなあ。それまで人形と話でもしてようかな。着替えさせながら。生きてるのも楽じゃないわ (*-д-)-з #Milkカフェ
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) January 8, 2019
駄目だ、やっぱり起きていると本気で死にたくなる。セロクエル飲んで寝逃げします。お休みなさい。うつのときは「いいこと」がひとつもみつからない私。おやすみ。明日の朝眼が醒めなくてもべつにかまわない。 #Milkカフェ
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) January 8, 2019
昨日はこう、本当に辛かったのでセロクエルで寝逃げして8時間爆睡しました。ちょっとスッキリ?…した、かなあ…??
まだうだうだとこれに関わっていて、いっそのこと見ても見ないふりが出来たら楽なのに、と思ったりしていましたが…。
自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) January 5, 2019
ただし、サイコパスの人はこういう反応をするかどうかはわかりません。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) January 5, 2019
それでも消えぬ問いかけ
自分の希死念慮が強くても、今にも死にそうな人を見捨てられないのはなぜか?という問い。
自分自身を相手に投影している部分があって、相手を助けることで自分を助けているというのも確かだと思うんですよね。自分が死にそうな時に思いやってくれる人の存在って本当にありがたいと思うし。見知らぬ人でも声をかけてもらえるのってすごく大事なことだと思います。
で、こういう問いは宗教者の人ならどう応えてくださるのかな?と思ってお坊さんに聞いてみました。
まあ、お坊さんは職業ですが、基本的には一個人として答えてくださっているんだと思います。
今朝気付いたら、こういうお答えが…。
やはり生き物としての本能です。あなたにも周りの人や目にする人にも生きることへの潜在的な本能があります。
それはああだこうだ考えるようなレベルのことではなく私達生物に全て与えられた本能、サガです。
それは本当に一つ一つ尊いものです。あなたがそう思い行動されることも尊いことです。
どうぞその思いを胸に抱いてあなたの人生を精一杯生き抜いて下さいね。
これに対しての私からのお返事です。
ありがとうございます。
ご解答を拝読した瞬間に新生児の誕生の産声が聞こえました。生命はただ引き続き、ずっと生きたいと欲しているのが本能なのですね。とても腑に落ちました。
死の最期の瞬間まで握り続けていた父の手の体温や、特養で眼にした、ずっとなにかを見つめている認知症のおばあちゃんの後ろ姿や、そういうものが光を増して眩しく思い出されて涙があふれました。確かに尊いお姿です。
なぜ自分が医療のお仕事をされている方々や、保育や介護のお仕事をされている方々にリスペクトするのか、理由がわかりました。命をはぐくみ、見守り、助け、きちんと見送る、どれも尊いお仕事だからですね。
もちろんそういうふうに思っておられない方もいらっしゃると思いますが、今後は一層協力が出来るようになれたら嬉しいです。
実は昨日などは私自身が希死念慮がひどくて落ち込んでいた時でしたので、いただいたお言葉に救われました。私もこういうふうに適切な言葉を自然な感じで人に語りかけられるような人間になりたいと願います。
本当にどうもありがとうございました。これからも本能の働きで、自分の生命も他の人の生命も大切にしたいと思います。
言葉は力に
世の中に光がさすこともこともあるんだなあ、と思いました。
実際に医療や保育や介護やレスキューなどの仕事について、どうしてかくも強く引かれるのか謎でした。まあ、甥や姪が関わっているからというのもありますが、それだけじゃないと思っていましたし。それが瞬時に腑に落ちました。これって凄いことだと思いました。
言葉が言葉だけど、力があって、タイミング良く降りてくる言葉は凄いね、と思います。
おかげさまで、昨日までの希死念慮は多分払拭されました。
最後にこれを添えておきたいな。
何度も言うけれど、高齢の故人の葬儀に幼児が走り回っているのは、希望。
— 眞藤隆次 (@kqmpb540) January 7, 2019
子供たちは未来を生きる希望の存在ですから、過去、現在から未来へ世代のバトンタッチがきっちり果たされていることはめでたいとことだと思います。故人もきっと喜んでおられることでしょう。想像するととてもほほ笑ましく素敵な光景だと思います (^_^)