お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

自分にうつる相手を見るということ

 

すいません。まだうつの中におります。

 

 


これはとっても本音。こういうふうに生きられる人はものすごく幸せだと思います。

 

これは私にもそういうところがあるなあ、と思います。弟も言ってたけど。

 

 

「理解され無さ」の苦痛を知ると知らないとではかなりの距離があるので。

 


哀しすぎるよね、これって。世の中は優しくない。

 

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今日は訪問マッサージのあとで法務局に書類を取りに行く予定です。
電話がないというのはスムーズに受理されたんだろうなと思います。

 

でもその凄いかもしれない事が全然喜べない難儀なうつ(T_T) 

 

軽躁の時にはちょっとくらい自信持っても許されないんだろうか?
嫌いだ、こんな病(T_T) 


どうもこの病気の特徴として、軽躁の時には自信過剰になったりするのですよね。
事業を始めようとする人がいるくらいだし。

 

その落差が理解出来ないし人からは非誠実だと思われて縁を切られたりとか。
対人関係で物凄く苦労している印象と経験があります。

 

これだけ理不尽で哀しいことを何度も経験して、それで寛容になれなきゃ嘘。

 

同じ人間の中にある振れ幅の大きさを当たり前に受け止めることが

出来るようにはなりたいです。

 

少なくとも自分の中のそれは理解できるし、行方不明になりかけた弟の

それもわかります。

 

相当の幅がありますよね。きっと健常者の想像を越えているかもしれません。

 

この許容量はやはり病気になった人にしかわからないことですね。
だから理解出来て良かったかもしれません。

 


逆にいうとやはり患者本人や家族や医療関係者以外にはわからない方が

多いということかも…。

もとより期待してなくても傷つけられる事は少なくないです。

そこには深い溝があります。

 

わかっていても完全に拒否は出来ないし。

内海健さんの本の一節に泣かされるわけだわ…。


このへんの内容ですね。

 

 

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-

 

 

 

 

 

 

双極II型性障害、とりわけ若い事例では、相手が何を考えているのか、
大抵のことはわかるという。余裕のあるときには、先を見越して対応ができる。
二手三手先まで読む。[ところが、]具合が悪くなると、今度はそれが裏目に出る。
読みすぎ、気を使いすぎ、疲れてしまう。相手も自分と同じくらいに
[こちらの気持ちを]読めるのではないかとと思い、合わせ鏡のような一人相撲になる。

また、皆がうまくいっているのか、どこかで諍(いさか)いが起きていないか、と
いうことも、重要な関心事である。そして大抵、彼女らの勘はあたっている。
おそしてみるまに、対人関係の相関図が、頭の中に描かれる。

こうした特性は、彼女らが生まれ育った家族での関係が反映されている。
彼女らは、おしなべて甘えべたである。親に甘えるというよりは、むしろ親が
彼女らに甘えてきた、と言った方が適切である。

この関係は、家の外でも再現される。彼女らの多くは頼られる。
明白な場合もあれば、目立たぬ形を取る場合もあり、あるいはスケープゴートとして
機能を果たしているときもある。(中略)

この頼られることは、彼女らの生きがいでもあるのだが、抑うつの時には
大きな負担となる。(中略)

双極性II型障害の事例がきまって言うことは、「悩みを持ちかけられる」ということである。
そして最も苦手なことが、「他人の悪口を聞かせれること」である。(中略)
ある患者はこのことについて、「影で他人の悪口を言うことは、私の悪口も
どこかで言っているということになります」と説明した。
論理的に聞こえるが、むしろ相手に対する直感的な洞察なのだろう」(p.151)

****

 
「どのような精神療法にも共通することであるが、患者が自分の問題に気づき、
そしてそれに対応するためには、その問題を単に欠点として自覚するだけでは
十分とはいえない。

・・・というより、それでは患者は浮かばれない。症状であれ、性格の特性であれ、
それらは両義的であり、[=環境への不適応の要因になるともいえるが、同時に、
その人なりにうまくやっていく上での『強み』でもあり]、かならず評価すべきところがある。

ましてや、双極性II型障害[の人]が持つ他者配慮は、肯定されてしかるべきでものである。
この利他的なあり方の中に、ただちに偽善、おせっかい、支配、自分本位などを
読み込むべきではない。それは通常人が自らを投影しているものである。
同様に、他人の顔色をうかがう小心さ、過度の傷つきやすさ、拒絶への弱さなどになどの
脆弱性に還元してすませるべきでもない。

仔細に日常のあり方、そしてそこにいたる生き方を見てみれば、彼ら彼女らの
「けなげさ」「かいがいしさ」を感じ取ることができるはずである。

他人への配慮や気遣いをしつつ、彼らが奮闘してきたこと、
彼らによって支えられた人たちがいること、
そして誰もそれを評価しておらず、にもかかわらず、患者に依存し、患者の気遣いを
湯水のように消費してきたこと、
そうしたことにに共感が示されるべきである。

少なくとも、他者への尽力に役に立ったのであり、意味があったのだということを、
治療者は繰り返し与えて返してしかるべきである。
このあたりのへの共感性が持てないと、この疾病に対する治療は、
ちょっと難しいかもしれない」(p.161)

 

 

他者はこの病気の対応がわからない影響から離れることで逃げられる。

 

でも患者本人は逃げることができない。その苦しさが理解されません。

 

他人は自分(患者)ほど寛容ではありません。 
多くの患者の今までの苦しみの経験はおおかたそこにあります。

ひどいときは家族でも逃げられる。でも自分からは逃げられない。

 

この病気の自殺率の高さはそのへんにあるのかもしれません。

 

自分の症状に対してある程度寛大でなければ生き延びられない。
でもそういう実態は多くの人の理解の外側にあるから。孤独ですよね。

 

そのくせ、自分はもっと多くの人のことを理解出来るようになるかも、

と期待してしまう。

たぶんそれはまちがいではないけど、それ以上に傷つくことが多いです。

しんどいねえ… (*-д-)-з

 

 

 

 

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