お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

猛暑に負けそうです(;_;)

 

月曜日半日受診に費やしただけで駄目でした。

今日はほとんど寝て過ごす。

弟と相談して、急ぎじゃない手術とかはコロナもマシになった涼風たった頃、と決めた。 私がダウンするのはいつもだけど、弟や姪っ子もダウンする夏は異常です(-_-;)

 

 

 

 

 

だから今日は休みます。すみません。

 

 

あ、緩和ケア云々で思い出したエピソード。

人の手には時々癒しの力を感じます。

 

 

20年近く前の夜中、私は突然の背中の激痛に見舞われていた。これまでに経験したことのない痛み.本で知る限りでは胆石とかに似てるかも、と思った。どちらを向いても痛む原因不明。 ただ、母が背中をさすってくれた時だけ痛みがましになる。だから擦って欲しいと懇願していた。高熱が出てきた。ようやく朝になって内科を受診。原因は結局わからなかった。ただ「手当て」というのはあると思った。

 

父は脳梗塞から肺炎になり、肺に水が溜まった状態でICUから直帰した。静かに自宅での死を迎えるために。多分呼吸の苦しさはあっただろうし、酸素の機械と一緒に退院してきた。幸いにも眠れないような痛みなどはなかったと思う。

 

最期の3日間、私はベッドの横に立って、父の手を握り(母は反対側で握っていた)静かな思い出ばなしなど続けていて、呼吸が不安定にならないように自己流の指導をしていた。要するにパニックにならないように、ですね。リラックスして呼吸が出来るように。どうも私がこういうことをしていると楽になるみたいだった。(後に愛猫家の医師の友人に聞いたところ、猫でも死ぬ間際には人間に手を握って欲しがるらしい)

 

介護関係者がつぎつぎにさりげなくお別れに来てくださった。その時だけ賑やかで静かな時間。母や私にはそれでも冗談で笑う時間もあった。訪問看護師さんは入れ替わり立ち替わり、かかりつけの先生の往診は前日5回に及んだ。「尿が出なくなればあとどれくらい」とナースのケアマネさんに聞いていたので家族が慌てることはなかった。 翌、早朝、母と私と弟、伯父の見守る中で静かに下顎呼吸の後、呼吸が止まった。苦悶はなかった。「お疲れさん、ありがとう」に尽きる言葉。

 

先生に確認しもらって書類をもらって。大変いいお顔をさせてます、と葬儀屋さんにも言われたので。なんというか本当に理想的な「いい死」を迎えられたと思った。3日経ち続けた私の足はむくみで曲げられなくなっていたけど。

 

寝不足でぼーっとしている私の代わりにケアマネさんが必要な手続きを代行してくださった。そのときに私が言った言葉「悲しいというよりもやりきったという思いが強いです」正直な感懐。 たぶん、人の手だから出来ることがあって、それが最高の鎮静剤みたいになることがあると思う。脳内麻薬かな。両親ともに苦悶がなく穏やかな死を迎えることが出来たありがたさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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