相変わらず面白く読ませていただいておりますYuKiさんのブログ「いつも空が見えるから」。
私自身が「脳」というのものに興味津々だから、取り上げられている書籍にも興味津々です。早速、注文した本もありました (^_^;)
創作にまつわる話題はとりわけ面白いのですが、自分自身ととても関係が深いと思うのが「イマジナリー・フレンド」ですね。
一番よく知られているのが幼い子供の「空想の友達」でしょうか。ごっこ遊びとかその他のシーンでも、子供が眼には見えない友達と話したり遊んだりしていることってわりとよくあるように思います。とりわけ空想好きな子供には。
これはきわめて正常なこととされております。そのあたりの理由はYuKiさんのブログでお読みいただければ、と思います (^_^;) ←ごめんね、手抜きで (^_^;)
子供ではなく、もっと成長した時期のイマジナリー・フレンドというと、ちょっとだけ病的な場合もあるようですね。解離性人格障害に繋がるようなパターンもなきにしもあらずのようですが…。
それでもなあ…。私の場合、子供時代に特別に不幸な思いをしたわけでも、またいじめに遭ったわけでも、虐待を受けたわけでもなく、育ってきたわけですが、ただ身体が弱かったくらいで、まあ、周囲との違和感のようなものは微妙に感じていましたが、それでも「大人しい、問題のない子、消極的」とか言われる感じではありました。
幼い頃にはイマジナリー・フレンドは存在しなかったんですよね。私にとってのイマジナリー・フレンドがはっきりした形になったのは中学生の時です。正確には「キャラクター」としてですけれども。そのキャラクターの世界が存在するゆえに、私には「守るべきもの」と「プライド」がきわめてはっきりした形を取るようになりました。
当時から頻繁に片頭痛や慢性盲腸炎の腹痛にも見舞われていましたが、自分にとっては中学生時代は一番元気だったかもしれませんね (^_^;)
ちょっと気になるクラスの男の子をモデルにして漫画を描いたり、資料的な本を読んだりしているうちに、独自のキャラクターの世界が勝手にでき上がってきたのもその頃です。背景世界は資料から裏付けされてくるし、性格や思考は私自身を反映してくるけれども、サポート役のキャラとか親友とか恋人とか教師とか、相いれない家族たちとか、仲が良い仲間とか、そういうものが勝手に(としか感じられない)どんどん膨れ上がってきて、それはいまでも存在します。
イメージ的には私の頭と一部重なっているかな?斜め上あたりに、次元が違うような感じで、そちらに意識を向けるといつでもアクセス可能ですが、私が関知しない時にでも、その世界の生活は勝手に続いている感じです。
解離性人格障害と違うのは、私自身の人格と交代することはないこと、アドバイス的なものを求めると、極めて冷静な答えが返ってくること。それゆえに私はパニックしたり我を忘れたりすることなく、自分をコントロール出来ているのですね。
こういう世界が私の中にはいくつかあって、主要なキャラクターも何人かいます。近しいのは5人くらいかな。
私の場合は「創造」と密接に結びついた存在で、彼らがいなければ、そもそも私の創作も成立しないし、私の精神のコントロールも難しくなる、というのがわかっていることで、おそらくこれは生きている限り変わらないと思います。彼らがいないと生きる意欲もなくなると思います。もちろん創作する意欲も。
私が二次創作に興味がないのもわかったわ…。自分のキャラでないと描く意味がないってことなんだよね。
こういう感じのものがイマジナリー・フレンドという範疇に納まるかどうかはわかりませんが、幼児期に不幸でなくても、思春期に不幸でなくても、なんだかいつのまにかこういうものが確立しているから、不思議だけど面白いなあ、と思います (^_^;)
私を大変理性的にコントロールさせてくれるもの、創作の源に存在し続けてくれるもの。イマジナリー・フレンドでもいいんだけど、私にはもっと近しい人生のパートナーみたいに思えます。(実際にそうだし)