電話の相手は女神さま代理??
貴船神社に電話で問い合わせたら、急いで新しいお札に交換しなくても、そのまま参拝くださいとのこと。女性の声でしたので巫女さんかな?でもなんか一瞬女神さまと話しているような錯覚しちゃった。自分でも意識しないでやたら丁寧に話してるな、と思いましたが(^_^;)
神社も色々あるのね。どのみち年末には新しいお札をいただくので、今日中に掃除して拝ませてもらおう。お稲荷さんは直接行くか郵送してもらうか、かな。
簡易神棚。2ヶ月近く放置してても全然埃が積もらない不思議な場所です。一年経っても積もらない。私が座る場所の横の上にあるんですが、埃は全部足元にたまる感じです(^_^;) でも一応掃除はしました。
去年の夏から喪服の用意をしていたら、先月伯父が亡くなったけど、今また弟と二人で入院準備とかしていたら本当に必要にならないかな?ちょっと心配もなにきしもあらず。
最低限肌着や寝巻きはいるよね、とは思うけど。まあ、生身の人間だし仕様がないよね(^_^;) 用意はしておこう。
過去にも未来にも囚われてない気がする
そうなんだ…。私過去は結構きっぱり切り捨ててきた方かもしれない。常に「後悔しない選択をしよう」がモットーだったから。そのかわりに得たものはたくさんあります(^_^;) 未来は「なんとかなる。なるようになる」から。ポジティブなのにね(^_^;) https://t.co/L4R4ILuQ1V
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2023年4月13日
これ本当に不思議なんですけど、私自身が過去にも未来にも拘っていないので、それがそもそもの病気の原因にはならないんじゃ無いかと思っています。「過去のあの時からやり直したい」とか「もう一度あの頃に戻りたい、病気になる前の」とか一度も思った事がないのですよね。
人生のこの課題には出会いたくなかった、という感覚がないのです。そういえば家族もそうだなあ。誰も昔に戻りたいとは言った事ない気がします。
人生をやりなおしたいと思った事がないです。自分が選択してきた結果が現状だと思うので。
だからその辺にこだわる人は本来の自分の選択ができていないのかもしれません。後悔しない過去も未来も「今この時」の選択にあるからね(^_^;) まさに「いまここ」なんだよなあ…。
なんとなく悟りに近いものを感じます。
ゼロからプラスにする人生よりも
マイナスからゼロに近づけるのに
必要な エネルギーの方がかなり多大だと思う。
そういうのは天が見てるから。
人間の評価の上で違う基準で評価されている。
まだ間違えるから面白いね
今日のAI さん
正確さに難がありますが。もしかしてキツネ を知らないとか??ずっと見ているとなんとなく信頼度が見えて来る感じ。
でも読書感想文をAIに書かせてどんな意味があるんだろう??文章が心に届かず上滑りして行ったけど。どういう意義があるの?絵だの小説だので賞を取ってもどういう価値があるのかなあ?本来そういう分野に使うのは違うんじゃないかと思いますが。
リアルな作品に価値があるとは限らないのが面白い
植村恒一郎さんが「ミュシャは二流の画家、芸術ではありません」と言ったことで、一般人からアーティストまで様々な人がミュシャの魅力を語り始めているんですが、たぶんそのツイートの一つ一つが八王子市夢美術館が開催するミュシャ展(2023/4/7〜2023/6/4)の最高の宣伝になっていると思うんですよね。 pic.twitter.com/kooSx6I8jo
— 楽蛙 (@Timeline_Frog) 2023年4月11日
すごくええことですやん(^^)
「類型的な美」「個性的な美」の具体例を挙げましょう。前者はミュシャ「ウェイヴァリー自転車」、後者は藤田貴也「Eiko-01」2016、綿抜亮「二つの動作」2014です。後者は私が美術館で見たとき釘付けになりました。「個性的な美」は、まさにその女性が「今ここに存在する」強い存在感があります。 https://t.co/u7rNVSuIDR pic.twitter.com/WXftWzgjEv
— 植村恒一郎 (@charis1756) 2023年4月11日
ミュシャを二流の画家と評価したのはこの方ですが、私がこれを見て気付いたこと。リアルな絵の良さはわかりやすいんですよね。特に絵画に興味がない人にでも。でもデフォルメ記号化されていくと好き嫌いがはっきりしていきます。
記号化された絵を鑑賞するにはちょっと別の脳の部分が必要になるのかもしれません。それがわかるのは私が子供の頃から「リアルな似顔絵が描けない。どうして?」とずっと悩んでいたからです。思えばそれも相貌失認のせいだったんだと思います。
逆にリアルすぎる絵にはあんまり魅力を感じない。画家の個性が加味されていないと印象にも残らないですし。AIのリアルな絵にはまだ気持ち悪さが先立ちます。私のトライポフォビアは結構そういうものをふるい落としてくれましたが。
漫画は記号化して組み立てる事が可能なんですよね。デッサンを学んだ時期がありましたので、骨格や筋肉なども共々に学びましたが。いざ自分が描くとなるとやっぱり描きやすいようにデフォルメしないと描けないわけよ。そういう苦労を知らないよね、この植村さんという方。
色々と知るにつれても自分の脳にあちこち欠陥がある事がわかってきます。まあ、今更その生まれつきの脳のことをどうしようとも思いませんが、ただやっぱり他人の評価は全然あてにならないのはよくわかったので、落ち込む必要もないと思いました(^_^;) 好きなように描きます(^^)
ええ、おっしゃることは分かります。でもあえて言わせていただければ、芸術作品と出逢ったときは、もうその瞬間に<驚き>があるのではないでしょうか。一瞬で圧倒される「分かりやすさ」は芸術に必須で、デフォルメ記号なんたらは二次的な話と思うのですが。 https://t.co/dG0Gch6oVc
— 植村恒一郎 (@charis1756) 2023年4月13日
Twitterで反論する気はないので、ここに書きますが、私個人は「驚き」と同時に「いいな」と瞬時に思うのはリアルな絵でもイラストでも漫画でも写真でも同じなんでよくわからないです。分け隔てなく生まれ育っているからその辺の反応は全部一緒くたで、あえて分けて反応した事ないからよくわかりません。わかりやすさにも差異は感じないので…(^_^;) この辺直感が反応してるんじゃないのかな?
世代的には近いと思うのにこの違いはなんでしょうね?? 下手すると永遠に噛み合わないかも(^_^;)
私は感動するときは絵画も文学も音楽も自然も写真も漫画も同じ様に感動するし、感動するということは琴線に触れたから反応するわけで、あえて表現を分けて掴まえているわけじゃないから写実画とそうじゃないものを区別する必要性がわかんない(-_-;)永遠に謎かもしれない。たぶん謎だな。
自分が身近に絵を飾りたいと思ったら やっぱり好きな絵がいいな。 小学生くらいの私はモナリザがすごく怖かったのよ。 児童向け文学全集の表紙になってて 、それを表向きにして寝られないほど怖かった。
あの怖さの正体はいまだに謎なんです。 そばに置きたくない絵です。 名画だけど好きじゃない。ダ・ヴィンチの他の作品は全然平気なんですけど。
今見ても怖いな。
このドラマは、全ての選挙前に必ず再放送すべきだ。 pic.twitter.com/Uxrbo03dBf
— 足立のヒョードル @取り戻そう「一億総中流」 (@adachinofedor) 2023年4月13日
このドラマは知らなかっらけど、これだけくっきりはっきりしたセリフがあったことはすごいな。本当に選挙前には再放送して欲しいな。