お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

流れにまかせて上手くいくケース 持病との関係 

 

線画のお絵描き

 

ここまで描いて限界がきた。キャラの線画のみ。完成形は頭の中で見えているけど。

 

23年前は週に1作は描けてたのにな。体力ないんだな完成度は上げてるつもりですが。AIは頭痛肩凝りと無縁な段階でやっぱりずるいよね。

 

せめてこれだけは死ぬまで続けたいけど…。

 

今日は薬を飲んで貰いに行って、買い物して来ないと何もありません。手を抜きたいので、寄せ鍋とかでもいいかもしれない。

 

どっぷりと疲労感。

 

 

 

 

こころの支え

 

主治医に「良くなってきてる」と言われるのは私の心に余裕があって、本気で「なるようになる」と思えるからかも。お稲荷さんとか龍神さんとか味方してくださってるし。毎朝手を合わせるし、毎朝お礼も述べています。それと日本と世界のことをやっぱり願ってしまうことが多いです。

 

だから今は自分個人のことよりも日本と世界のことが気になってしまうのです。私はまあそれなりに幸せだと思うし(^^)

 

 

この方は本職ですが、お稲荷さんだから、生活に困らないだけのお金は融通してくださるんじゃないかな?と想像出来ます。ほっこり(^^) 私もお稲荷さんと大金というイメージは想像出来ません。でもあまりお金に執着しない人に、ささやかに都合してくださることはありそうな気がします(^^;)

 

 

完治するとは思っていません。うまく共生できたら寛解で大成功なんで。無理な目標を掲げないのが良いと思う。私はそもそも躍起になって病気を治そうとは思ってなくて、その病気を通じて学ぶことが学べたら「じゃあ、その課題は終了ね(^^)」という感じで病気が静かに身を引いていく感じがあります。

 

慢性膵炎の時もそうでした。16歳から24歳頃まで、えんえん7〜8年に及ぶ闘病でしたし、普通に大学進学を目指している人なら半端じゃないつまづき期間だと思います。でも私は経済的理由もあってそれほど進学に関心がなく、学校内では得られない友人をみつけたし。生き甲斐も作品と言う形になったしね(^^) 

 

うーん、普通の人にはぴんとこないかもしれませんが。(ちゃんと治療が必要な人はちゃんと治療を受けて欲しいし)これもバランス感覚なんですわ。

 

私は昔から、スピリチュアル的な解釈になりますが、病気というのは肉体を持って学ぶべきことがあって、その課題をやり遂げた時に「合格。もういいよ」という感じで薄らいで消えていくものでした。命に関わらずグズグズくすぶる私の病気のような。肉体がないと学べないことばかりですしね。それはもう幼児のころから気付いてました。

 

静かに変化を見守りたいと思います(^_^;) 悟りとか一瞥体験とかって全然地味な印象だったり、ほんのわずかな瞬間だったり。自分の内部で起きる「気付き」なんだけど、これが世の中の見方を180度変えたりするし、これは面白いです。個人的な悩みがあんまりなくなる感じ。

 

精神的に安定しても身体は動かないしね(^_^;)  あまり動けないけど、他人様のお役にはたちたいと思いますが。そのために何が出來るかはよく考えます。

 

既成の宗教ではありませんが、今までに生きてきて本当に根幹になる死生観はしっかり太い幹としっかり張った根っこになっていますね。布教するつもりもまったくないので、みなさん求めたい人はご自身で気付きに辿り着いてくださいね(^^;)

 

要するに自己探求の果てにあるんだもん。

 

私は基本的に自分で考えて判断して生きてるけど、世の中はまだまだそうじゃないですし、そういう現実とのギャップというストレスは半端なく病む要因になっています。
 
「自分らしく」と言う言葉が嫌い、という文章を見つけたけど、ものすごく理解が浅かった。出てくる人物達も軽過ぎるファッション的な言葉の使い方しかしていないし。それで判断されても困りますが、そういう捉え方も困るなあ、と思う(-_-;)
 
遠からずあたりまえの世界になればみんなもっと生きやすくなるのを期待しています(^^;)

 

 

死の追体験

 

一昨夜、救急医の先生のつぶやきの中にあったな。家族を家で看取るというのは相当な胆力が必要だって。 そんなにシビアに考えたり受け止めたりしたことなかったな。

 

「生の反対側には死がある」と当たり前に思ってただけ。それで本気で冷静に寄り添っていただけ(^^) そういうのが私の本質なのかもね。

 

 

「胆力」とは、物事に対して怖がったり尻込みしたりしない「気力」や「度胸」のことです。失敗を恐れず、勇敢に挑戦する精神を指すこともあります。「胆力のある人」とは、どっしり構えて打たれ強く、肝が据わっている人を意味します。何に対しても動じず、内側からの強いエネルギーを感じられるような人です。似た意味の言葉としては、「度胸」や「根性」などが挙げられます。度胸は気後れしない精神力、根性は困難などに屈せず物事をやり遂げようとする気力のことです。

 

 

失敗はあとから学びと収穫になるからべつに怖くないです。突然の災害とかは怖いけど…。甥っ子はよくまあレスキューとかやってるよなあ、と思う。

 

私、父の臨終につきあって、一度疑似的な死を体験しています。あの世の入り口まで行ったみたい(^^;)

 

それと昔、小中高の「クラス会や同窓会の案内が来るのがうっとしくて「私は死んだことにして名簿から削除してください」と頼んで以後、「案内が来なくなって非常にすっきりしましたし(^^)

 

あれで嫌いだった学校のしっぽが切れたんだと思います。ふっきれた感がすごかった(^^;)

 

 

本質的なものがよくわかってしまって軽薄な御仁や軽薄な思考もよくわかるようになってしまいました。そういうことでよく怒ってますね。 失言ってとっさのことだから、内容はやっぱり本音だと思う。良くないことでも口にすれば言霊が宿るので、いつか帰って来るかも。

 

そういう感性がなくなると怖いと思います。武器さえあれば戦争は防げると思っちゃうのも。 動物たちは自前の武器があってそれで戦ってますけど、彼らは本当にやめ時を知っていると思います。本能に従うあたり、動物たちの方が優れてると思ってしまうところです。見習うべきところは少なくないと思います。

 

 

 

 

 

幸せフィネガンくん(^^)

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キツネさん、私の中ではすっかり叡知の動物、メッセンジャーになっちゃったな(^^)

 

 

 

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