既製品ばかりを作らない教育がとても必要
日本の教育は規格外の子供にはほぼ無力。なぜなら教師自体が規格内だから。規格外の子供にも柔軟に対応できる能力が必要。オリジナリティのない人間ばかり育てていては世界対応出来るわけがないよね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2017年1月15日
昨夜寝る前になにげなくつぶやいたんですが、これって結構私の実感でした。
日本の一般的な教育だと既製服ばかりを作っていて、オーダーメイドが作れない、という実感は自分が生徒だった頃からずっとあって。うちの両親もぼやいていたことがありました。規格外の子供を持ったゆえの述懐だったと思います。何度か学校には相談に行ってたはずですし。
ちょうどマイクさんも同じ疑問を感じていらしたので、さらに考えたくなりました。
規格外の子供っていうのは、発達障害もありますが、それゆえにユニークな個性を持っていたり、生来、IQやEQも高めの子が多いんじゃないかと思われます。思考回路も行動もユニークだから、他の多数の子と同じようにはなかなか行動できない。
でもその子なりに真剣に考えていて、時には質問したりもするんだけど、その突拍子もない(ことが多い)質問にまともに返答が出来る先生って少ないんですよね。
規格外の子供が理解しがたい、どう扱ったらいいのかわからない。なぜなら、おおかたの教師は自分もまた「規格の中にいる」人たちだから。これは会社なんかでもそうだと思います。
そういう人たちには「ユニークな子供」であることが「欠点」にしか見えなくて、それで正しい指導も出来なくなってしまうのですね。鋭い子供は鋭い切り返しをするから、それが教師のプライドを傷つけて、感情的になって暴力を振るってしまったり…。そういうことで生徒の方は「教師信頼するに値せず」という不信感を持ってしまうのです。
…これは私のパターン。外見はぼーっとしているように見えるから、ここまで考えてないように見えるけど、実は相当わかっていると思います。結構クールに大人を分析している。
うちの両親は教師とも闘う人たちでした。「うちの子の良さがわからんとは、あんたはアホか! (-_-メ)」とか言ってそう (^_^;) 二人とも優等生だったくせに「学校絶対」じゃないんですね。
人は理解出来ない相手には不安を感じるのか?
まあ、確かに規格外の子供って指導しにくいですよね。大抵成績は悪くないんですが、でも規格内の人から見たら「わけわからん子」 (^_^;)
私も社会に出てから「ユニークと言われたら褒め言葉だと思って。デザイナーが普通の人と同じ発想をしていては話にならない」とそれが長所だと認めてくれる人に出会えて幸福でした。ものすごく自己肯定感にもなりますね。
「ユニークな子」は大抵は意外性のある将来楽しみな子だったりするので、そういう子たちをいかに伸ばしていくか、というのが今の日本の課題かもしれません。うまく認められずに自信が持てないと不登校にならざるを得なかったり。他にもいろいろと学校に行っているだけで生きづらさをいっぱい抱えてしまうんですね。
そういうところから乗り越えてきた人たちの方が「ずっと順調」だった人よりも人間的に深みがあるし、おつきあいしていても得ることが多いです。ユニークな人ってなによりも面白いし。多様性の魅力がありますよね (^_^)
実例を捜してみた
こういう規格外の子供をうまく育てるシステムってないのかな?と検索していたらこういう記事を見つけました。
こういう場所がもっと増えて欲しいと思います。
「みんなと同じ」は時には大事かもしれないけど、緊急事態にはおのずと協力が出来る。でも普段は好きなようにやってる、その方が楽だから…というような柔軟性が一番じゃないかなあ。自己肯定感が強いと割切って集団の中に入れるところがあったりしますし、時にはリーダー的にも行動出来たりしますので、やっぱり強い武器になるだろうな、と思います。
みんな違ってみんないい、というのが当たり前の世の中になって欲しいですね。みんな違うから素晴らしくて、補いあって、協力して大仕事も出来るんだよ、みたいに (^_^)
弱くても強くても、みんなそれぞれに大切な役割があるんだよ、ってこと。学問以外に一番教えて欲しいのはそれだと思います。