いつになったら終わるんだろうか?? (ーー;)
時間がかかりすぎて、片付けがもはや苦行の域に入っておりますが… (ーー;) でも私でないと分別しようがないなあ、と思うとやっぱり自分でやるしかないのですよね。段ボールあと何箱いるのだろう??
捨てるに捨てられない同人誌のスペースに入りつつあります。現在はプロとして活躍されている方々のアマチュア時代の本も多数。やっぱり捨てられないよね… (^_^;)
いまはこんな感じ。
分別中なので、むしろ散らかっているようにも思えます。実際に散らかっているのかもしれない。ゴールにたどり着けるのは果たしていつのことでしょうか????
「桜Exhibition2019」の展示と投票
「桜Exhibition2019」サイトで出展作品の展示と投票が始まりました。
励みになりますので、お好きな作品にどんどん(特に制限はなかったはず)投票してくださいませ (^_^;)
来年も出来れば参加したいなあ、と気が早く思っていたりして… (^_^;)
精神的に大人じゃない親を感じる
私、SNSなどで発達障害や精神疾患を抱える人たちとの関わりが結構あるんですが、いわゆる機能不全家族の多さには毎回驚かされます。妻子へのDVとか、我が家にはまったく存在しなかったものなので、想像は出来るし、それなりに共感も出来ますが、いまいち危機感が迫ってこないところはあるかもしれません。
それで正直不思議なんですが、子供というのは我が子でも独立した人格なので、そもそも親の意のままにしようとすることからしておかしいのですが、それが出来ない人がいるんだなあ。
どうかすると妻でもその対象になるのって「自分のものだから好きにしてもいい」という誤った認識があって、それに甘えていませんか?
うちの両親は60年以上前から「我が子といえども独立した別人格」だと思っていたので、振り返るとあまり日本的な感じがないんですが、でもそれってやっぱりごく当たり前のことだったなあ、と思います。
我が子を褒めるっていうのはうちでは普通のことでした。我が子だろうがよその子だろうが、褒めたい時には褒めるのが当たり前のことですが、これってなぜか「いやいや、うちの子なんて」と謙遜する人が多いのも不思議。外国だったらたぶんそうじゃないだろうな、とは思います。
こういうの。
諭すことも叱ることも身内だからできる。責任のない他人は、モチベーションが落ちないように気遣うくらいしかできない。 pic.twitter.com/6btMbndkgH
— うさぎのみみちゃん (@usagitoseino) May 2, 2019
「ありがとう。そうなの、偉いのよ。もうちょっとサボってくれてもいいかな?とは思うんだけどね (^_^;)」と母なら言ってそうだなあ。
なぜ、叱らないのか?と尋ねたら「そやかて、あんた叱らんとあかんようなことひとつもせんかったし」とのことで。そのへんの反応が日本人ぽくない (^_^;)
でもよその子でも危ないことをしたら叱るというよりも「こうこうだからしたらあかんよ。危ないやろ」と具体的に注意はしていた。諭すというのは感情的にならずにとくとくと言い聞かせることだと思うのですがね、これは親じゃないから出来ることもありますよね。大人の分別として。
注意する前に「危ない事」を理解していたのが私だったそうです。だから叱る必要がなかったらしい。危ない事はやらないし。
真剣に同じ目線の高さで諭すと犬でも理解して納得してくれるんですよね。(猫にはやったことないからわかりませんが、知能が高い動物には通用する気がします。カラスだって対話出来れば可能じゃないかと思う私)ましてや人の子なんだから…(^_^;)
「学校は既製服しか作らない。子供は型にはまった既製服とは違う。みんなオーダーメイドなんや」と主張していた父。私がちゃんと自分で考えて結論を出せることを尊重してくれていました。人生の最期に一番信頼してくれたのも私でしたし。(だからいまもサポートしてくれてるんだと思う)
「女子供は絶対に殴らん」と半身不随になって理不尽な扱いを受けても非暴力を貫いた父。(だから母と私は自分たちが守らないと駄目だと決意した)
根拠のない自信で「あんたなら出来る」と励ましてくれた母。人生の最期まで私を自慢に思ってくれた両親。
…私って非常に恵まれていたんですね。お金こそなかったけどね (^_^;)
とても簡単なことなのに。
世界のいいとこどりみたいな感じ?
そういえば、両親が戦後学んだのが英語だったというのも面白いと思います。出会う前だけど、お互いに英語に関心が強かったようです。
父は進駐軍に出入りして会話を学び、洋画ファンらしく映画館に入り浸って会話を学び。母は通訳になりたくて、高校の時はESSに所属していました。でも経済的理由で大学進学を諦めたので、同じクラスにいた女性が通訳の仕事に就かれたことを羨ましがっていました。
母方の実家はわりと自由な気風があったかもしれません。父の方は終戦後に「なんちゅう国と戦争なんかやったんや」と思って、逆に憧れを持って学んだ気がします。私は当時の洋画は全然詳しくないですが、父は「シェーン」のアラン・ラッドがとりわけ好きだったなあ。
でも「子供には日本の行事はちゃんと伝えんとあかん」と我々が子供のころは真面目にやってましたが。
私がサンタクロースの正体に気付くのが早すぎて、サンタクロースが来なくなって、かわりに「お正月が近いから、お年玉でまとめて渡すし」と大人の合理的理由で説明されちゃったりとか… (^_^;)
なんとも不思議な家庭でしたが、でも私はそういう両親のもとに生まれて幸せだったと思います (^_^)
人生は使い方によっては充分長いものであり、
充分尊いものであり、
充分美しいものである。
これから何年、何十年生きても、
おそらく人生というものなど
解りっこないに違いない。
ただ、そうした解らない人生
というものの終局点に立ったとき、
人生を肯定する立場に立っていたい。
ーーーーー井上 靖
そういう両親ですが、私は英語は駄目なんだ〜(^_^;)
ま、こういう思い出語りも供養なんです(^_^;)