過去のCD発掘
昨夜は長引く片付けにめげて、予約投稿の準備もしないで早々と寝てしまいました。
もう、正直すっかり嫌気がさしてるんですよねー(ーー;) なんとか気分を引き上げようと四苦八苦しています。
で、やっと救出できたのが、このCGのケース。まだ中を確認してないけど、上の方に置いていたから湿気でアウトにはなっていないと思います。うーん、おそらく20〜30年前によく聞いていたものですね。
これを見ていると、自分が描く絵の世界とどこか繋がりを感じます。昔のNHKスペシャルのスケールの大きな番組とか好きだったな。宇宙とかシルクロードとか脳の世界とかね。
ZABADAKとかマイナーだよね。でもどこか地球に共鳴するような音楽世界が好きでした。
美術評価と好き嫌いは切り離せない
今朝のTwitterで見た話題ですが、ある女子高生が「自分の好きな絵を模写する」という課題で、低い点数をつけられてショックだった、みたいなことを書いてらして、その模写の元絵が会田誠さんの絵だったので、先生は問題視されたのかな?とも思います。
正直、私もあれは好きじゃないです。美を感じるか?と言われたら疑問符が浮かぶし。どっちかというと先に嫌悪感が来る。
でも絵や音楽は結局は個人の好みですから。私なんか美術教師が変わる度に評価が変動してたし。
今話題になってる天野喜孝さんの絵も自民党と無関係でオリジナルなら好評だったと思います。
見る側にはどうしてもそういう視点は入るし、ずっと続けるならそういうことも覚悟して頑張ってください(^^)…というのがメッセージですね。
私は結局誰に評価されようがされまいが「描かないと死んじゃう」という切実なものがあって描き続けています。
ここまで続けていると誰にもなにも言われなくなりました(^_^;) それで好きになってくれる人があれば本当に幸せです(^^)
人生ってそもそもそういうもんだよね。でも受け取る側にはどうしても好き嫌いは入ってくるから、万人に支持される作品は間違えるとつまらなくなりがちです。どちらを目指したいか、かなあ。「嫌われる勇気」があれば好きなように描けるしね(^_^;)
私も「見る人を不快にさせる絵」は苦手です。よく精神疾患を持つ人が描いた絵が「怖い」と言われたりするけど、むしろ私には病気じゃない人の内なる闇を覗かせるような作品の方がよほど怖いです。その人や作品を否定しませんが、でも敬遠はします(-_-;)
好き嫌い以前に「生理的に駄目」というのもあるし。それはどうしようもないことで、そういう反応も存在することは知っておいた方がいいと思います。
全部わかったうえで、どこを目指すか?という課題があるので、若い人は未来がたっぷりあっていいなあ。世界のすべてが敵味方でもどちらでもないし。
どれだけの人に好かれて、どれだけの人に嫌われるかわかりませんが、個性を生かす上では好き嫌いに左右されるのは仕方ないですよね。
より多くの人に好かれたいなら、そういう表現も不可能ではないし、先生に評価されたいなら簡単で、先生が好きそうな絵を描けばいんだし。でもそういう妥協ができるか否かで違ってくるんだよねー。
どこまでも特殊な表現を目指すなら広く受けいられなくても仕方がない、という覚悟はやっぱり必要だと思います。
子供の頃から「なんとなくヤバイ気がするからやめとこ」とか「なんか面白そうだからやってみよう」とかって、直感的な判断で生きてきた気がしますが、このごろその傾向が強まった気がする。まあ、論理的裏付けは後からでもいいしなあ…。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 2, 2019