変な時期のハレの日疲れというか…
改元の流れがまさか大晦日→元旦、というパターンになるとは思わなかった。おかげでTwitterなどでタイムラインをうっかり追いかけてしまった私は非常に疲れた。昨日の午後はかなり長めにダウンしていたのが実情です。
もう「ハレ」の気分はどこかに置いておいて、気になるのは雅子さまの体調でした。やっぱりどこか他人事とは思えないんですよ。しんどいやろうなあ、と想像すると。自分は好きな時に好きに休める自由があってありがたいと思いました。
これはみなさん、参考になるかも。
気付きからの再生は大きいと思います。
#病気になったからこそ
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 30, 2019
✷子供のころからずっと続けている規則正しい生活の強力な長所を知った。
✷子供の頃からずっと大切にしてきた自分軸の強さを知った。
✷気分は揺らいでベストバランスを取ろうとするので、小さな揺らぎで慌てなくてもいいことを理解。パニック障害が治った。
ーはるうさぎ
なんつーか、病気で悩んでないことはないんだけど、それ以外の悩みの方が重くて、病気はもうデフォルトだし、という感じになって長いなあ。親の介護が始まってから13年か。ずっとそんな感じ。すげー修行だと思います(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 1, 2019
自分以外の生命の重さを預かるとそういう感じになるのかもしれない。ゆっくり療養とかしている場合じゃなくなるし。嫌でも鍛えられてしまう。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 1, 2019
うちの両親は昭和一桁生まれです
で、昨日の早朝、ちょっとしみじみと感慨にふけっておりました。
うちに初めてTVが来たのは昭和34年だったか。皇太子ご成婚というので近所の人たちが見に来られていたのをうっすら覚えている。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 30, 2019
同じ世代だった両親は随分早くに逝っちゃったなあ、と思う。それも平成。出会いと別れがどちらもたくさんの時代だったね。
まだ半分寝ながらのつぶやきでした。
だるだるで起きて、なんとかご飯を作って、自室に戻ってきたところ…。
部屋の中で焚いてもいない線香の匂いがする。これってきっと両親か誰かのメッセージだよな。ああ、でも解読出来ない。難しい。ごめん。なにか別の方法で伝えてくれないかなあ。私は夢も見ないやつで申し訳ないんだけど…(>_<)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 30, 2019
うちには仏壇はありますが、仏具はないんです。ロウソクは一応形だけの電池式のが置いてありますが、いままでに1、2度しか使ったことはありません。
お香立ても一応あるにはありますが、まだ新品でケースにはいったままで、使ったことはありません。お線香もあったかどうか記憶にありませんし。あるとしても引き出しの奥に箱に入れてしまってあるはず。
だから、考えてもお線香の匂いがするはずがないんですね。
でもこれきっと悪いものじゃない。多分応援してくれているんだろうとは思う。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 30, 2019
こういうのは直感でわかる。私は見えたり聴こえたりする人ではありませんが、第六感みたいな直感はほぼ正確です。だから両親か祖父母の誰かだと思いました。まあ、近いところでは父か母か両方でしょうと。
でもなんで?数日前には癒されたいとか言ってたのは確かだけどさ (^_^;)
あ、そういえば父のスーベニアスプーンを供えたままだっけ (^_^;)
あ、そうか。今朝早くに、うちの両親はわりと早いこと逝っちゃったな、とちょっとしんみりしたからかもね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) April 30, 2019
きっとそうだな。「嘆かなくてもそばにいるよ」と伝えてくれたんだと思います。そう思うとやっぱり涙が出てくるし。とても嬉しくてありがたいと思いました (^_^;)
きわめて自然に受け止めている自分がいるなあ
私はあまり悪い印象のものには遭遇しません。なんとなく、そういうものからガードされている気がしなくもないですが。無意識的に気にとめないようにしている可能性もありますが。
ちなみにこの香り、部屋から一度出て、戻ってくるとさらにはっきりとわかるのですよね。出たり入ったり何度かして確認した。気のせいでは無いと思います。3~4時間くらい居てくれたのかなあ。ちょうどそれくらいで匂いも消えました。
なんだろうなあ。家族が来てくれた時って瞬時に確信するみたいで、疑いの余地がないんですよね。それ以外に想定が出来なくなりますね。面白いことですが、でも励ましてもらったので、また現実で頑張ろうと思いました (^_^)
まだ思い出すとじわっとするけど… (^_^;) 生まれる前からご縁があった親子というのはきっと死後にもご縁があるんじゃないかと思います。
うちの父はロウソクの炎でも自己主張してくれる人だからね (^_^;) わかりやすく、物理的なことで見せてくれたりとか。火の用心のために現在はロウソクは使っていませんが、照明とかも使ってくれるしね。
仮に仏壇を処分するとしても、なにかメッセージを伝えやすいものを用意しないといけないなあ、と真剣に考えています (^_^;)
うちは昔から、みんなが元気な時から、普通に霊的な会話をしていた家族なので、わりとツーカーなところがあります。そういうのが続いている感じですね。
「胡蝶の夢」というか、魂が蝶の姿を取るのも多分本当。父の時は意外にも可愛らしい黄蝶でした。買い物に行く途中の私の自転車を先導してくれました。
母の場合はアオスジアゲハでした。郵便局に行く途中で見かけたら水を飲んでいました。ああ、胃ろうのため長く口からの水分摂取が出来なかったからだなあ、と納得しました。
ここ十数年、街中で蝶の姿を見ることはまずありません。いずれの時も両親の死後、四十九日が経たないうちでした。肉体がなくなればこの世のことは夢のようなものなのかもしれません。
私のこの感覚はアート的なものの延長にあるような気もします。イメージはいつも降りてくる感じがするから。
はい、まだまだ現実対応は厳しいし大変な事ばかりだけど、自分の出来る範囲で頑張るからさ。
死後にもちゃんと見守ってくれている家族の存在はありがたい限りです (^_^)