予約投稿をしておいて、今日は郵便局と内科も行けたら受診しないと薬がなくなるなあ…。
淳一スタイル&真琴スタイル
そういえば、ツイッターの中で話題になったことですが…。
河出の名作絵本が萌え絵と騒ぎになってるみたいだけど、わし幼少の砌(40〜50年前)の名作絵本の絵は高橋真琴先生。当時の子供の可愛いを凝縮したお姫様絵に憧れてグラフィックの道に進んだぞ。子供の趣味趣向に合わせた絵柄の何がいけないのか?わからん。 pic.twitter.com/JipX7MmBXA
— すのゆき(パンサーP又は豹柄P) (@sunoyuki) November 10, 2018
色鉛筆とかスケッチブックとか下敷きとか筆箱とか、とにかくあらゆるものに高橋真琴さん (^_^;) でも憧れたなあ。ああいう絵は描けるようにならなかったけど。一時代を築いたかたでしたね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 10, 2018
え~そんなにグッズが存在していたとは知りませんでした!絵本の絵として好きでした。多分中原純一好きだった母が、綺麗な絵柄と思い買ってくれたのでしょう。思えば牧美也子さんや初期の水野英子さんの絵柄もこのような雰囲気だったかと…流行だったんでしょうね。
— すのゆき(パンサーP又は豹柄P) (@sunoyuki) November 10, 2018
当時の女の子の持ち物には本当に溢れてました。綺麗だから好きな子が多かったんだと思います(^_^;) 文具から絵本から食器とか色々。昭和40年前後が中心だったような気がします。その頃の私は高橋さんは女性だと信じてました(^_^;) https://t.co/LHfEQlO7KV
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) November 10, 2018
……ああ、リアルにそれらを知る世代。
戦前から女学生をメインに雑誌やグッズで圧倒的人気だった中原淳一。
戦後、もう少し年少の少女たちに支持された高橋真琴。
「淳一スタイル」「真琴スタイル」と呼べるほどの独特で確立された世界観は
その時代の少女たちの夢や憧れを反映していた。西洋に対する憧れも含めて。
グッズを集めて友達と共有することは、そういう夢や憧れを共有することでも
あったと思える。まだ現代ほどものが豊かではない時代だった。
でも成長のために必要な「綺麗なものの力」だったようにも思える。
現代はすべてが多様化してしまったために、わずかなカリスマ絵師が人気を
独占する時代ではなくなったと思う。
アニメ風、とひと括りにされても彼らのような影響力を持つ絵師は出てこない。
かつては「抒情画」と呼ばれていたものが変化している。
多様化も自然の流れかもしれないが、共通して感じることが可能な「抒情」の
ようなものもどこかに行ってしまった。
今なお鮮やかなお二人の確固とした絵の裏の世界観を思う。
彼らのような絵師は現代には出てこないだろう。現代ははたして豊かだろうか?
脳の調子と気分のモニタリング
”僕がなぜ”脳の病気”と言うかというと、患者さんを診療しながら、これは脳の病気だよ、自分の脳をいたわりながら、自分の脳のコンディションをいつもモニターしながら生きていこうとするような心のありようが一番いいんだよと患者さんに対して言う”
— ガラム@休職中 (@AL_G_G_LS) November 11, 2018
(神田橋條治「精神科における養生と薬物」)
モニタリングは折れ線グラフなどで記録している方もおられますが、それだと
私向きではないし、ゼロの位置が確定できないし、じゃあ私なりの絵にすれば
いいじゃないか、と思ったのがこのFeelの表現です。
他にも意味はあるけどモニタリングなんですよ。
自分の記録でもあるし、人に見てもらっても一目でわかるように。
決して飼い主の(いや、そもそも人間のことを飼い主とは思ってなさそう)言うことを
聞いてくれないし、基本的に好き勝手に生きているあたりが双極性障害の症状も病気も
「とっても猫」だと思ってしまったら、もう、それ以外のものに思えなくなって(^_^;)
現実に猫を飼ったことはないんですが、犬とは違う「我が道を行く」感じが本当に
双極性障害の猫あしらいなんですよね。
実際にこういう気分で付き合うと、割と楽な感じでいられる気がします。
長年の知恵というか、自分なりのあしらい方が私の場合はこれだったんだな。
まあ、気長にやっていこうと思います(^_^)
昔から傾向はあったけど、この病気になってから特に私はいつも私自身を観察し、研究し分析している。
何にどう反応するか、どう解決するか、どう思うのか行動するのか?そういうすべてが興味深くて面白い(^^) 周りの人たちの視点をお借りすると一層それがわかりやすくなる。
誰に迷惑をかけるでもなく自分自身に対しての、私は研究者であるなあ、とこのごろ実感している。面白いのよね、これが。 悩んだり試行錯誤しながら、同時に自分を観察しているので、極端な行動に走りづらく、割と冷静に落ち着きを取り戻せるのではないかと思う。
うん。他人に強制はしませんが、私自身はこれがとても面白いと感じています。なんとなく軽快する方向性も見えそうな気がします(^_^;)