ぐだぐだしてます(-_-;)
まだこういう状況でごろごろしている時間が長いです。料理するのも嫌で、一度は投げ出したけど、思い直してなんとか作った。
買い物に行くのもしんどいので、なんとかおかず作った。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年4月22日
でも明日はわからないです(ノ_・、)
昨日やっとワクチンの接種券が郵送されてきました。来年の春にギリギリ引っかかるんですよね、私。個別の誕生日じゃなくて来年3月末が区切のようです。まあ、どのみち基礎疾患でもひっかかるでしょうしね。
接種可能な医療機関は自治体のサイトでわかります。やっぱり一番近いところがいいだろうな。役所は遠いしね。ドタキャンしないように体調管理をちゃんとしないとね。
ただ、この予約開始がゴールデンウィーク明けなんですよね。それから調整して2度の接種かあ。このペースだと全国民の6~7割に接種が終わるのっていつごろでしょうね??ちょっと気が遠くなりそうですね(^^;)
しかし、33553箱って4千万回分近い分量なんだけど……。
— 知念実希人 小説家・医師 (@MIKITO_777) 2021年4月23日
ものすごい量が一気に入ってくるってことじゃない。
これでワクチンの供給量が接種のボトルネックになっている状況は解消されそうです。
次は迅速に接種していく体制の構築ですね。 https://t.co/44zdYI5GJf
ワクチン入っても接種の人手が…。なんか日ごろ注射をしない歯科医師さん(いや、歯科医師さんはするよね)とか薬剤師さんにも手伝ってもらったら?という案を見かけましたが、さすがに薬剤師さんは経験ないと思うんですけど~。でも人手は欲しいですよね。
大阪は救急車が来ない
— コロン小林@くたびれ外科医 (@osanpo_surgeon) 2021年4月22日
転院搬送に市の救急車を呼んでも出払ってるから、どうやって連れていくかという話が出てくるようになった。
何かあっても病院までたどり着けない、救急車すら来ないという状況までなってきている。
コロナだけじゃない。どんな疾患、症状でも救急車は来ないということだ。
いままた救急車が走ってます。 国道沿いだからホントによくわかります。 救急車の往来だけでもわかる患者数の増加。 なにが起きてるかわからないというのが 信じられない。想像力ってなんなのよ? 危機に際しては正しく働かないと 意味がない。
うちの両親存命でなくてよかったです(-_-;)
脳梗塞や心筋梗塞など最速の処置を要する病気で救急車が来なくて病院にも行けないってものすごく怖い。そういう時間を争う救急の経験20回以上してるけど、いつも心臓爆発しそうになってた。
予測してたから気を付けて、って頼んでたのに守ってくれなかった人たちは嫌い。 人を守らない無能な政府も大嫌い。
私、本名でツイートしててよかったです。 一応理性が働いて、ややソフトな表現に なるしね。 昨今の世の中だったら匿名で本音で もっと罵詈雑言ぶつけてる可能性が あって怖い(-_-;)
言霊ことだま。
あ、いま気がついたけど、ワクチン接種で集団免疫をつけるのに貢献して、体質などの事情でワクチンを打てない人たちを罹患から守るのも徳を積む行為ではないでしょうか。献血もそうだしね(^^;) うん、こういう貢献の仕方ができるのもありがたいですね、なにも必要がないですしね(^^) 私はこういう考え方の方が元気がでるな、きっと(^^;)
いくつになっても続けても いくつになって始めても
絵師35歳定年(?)説というのが流れてましたね。まあ、体力的な限界はあるかと思いますが、プロでなければなにごとも問題はありません。
まあ、なんでも若ければいいというのでもないです。
若冲の代表作の動植綵絵は41歳から55歳にかけての作
— 栢莚@資料性博覧会14 20 (@hakuen_kabuki) 2021年4月23日
雪舟の代表作の天橋立図は81歳の作
北斎の浮世絵の代表作の富嶽三十六景は63歳から71歳の作、肉筆画の代表作の八方睨み鳳凰図に至っては86歳の作。
つまり、絵師は35歳どころか40歳以上から始まってる。 https://t.co/AgDK8syuay
じぶん【時分】 の 花(はな)
能で、年齢の若さによって現れる、芸以前の一時的な面白さ。
まこと‐の‐はな【▽真の花】
世阿弥の言葉ですが私が20歳ごろに読んで感銘を受けた。どんなジャンルでもどうせなら若さだけではない真の花を咲かせたいもの。
私は子供の頃になりたい職業がなかったのです。なににも憧れていなかった。ただ職業じゃなくてずっと絵を描いていたいと思いました。それさえあればいいので、それを人生のメインに置いてきました。
お金にしたいと思ったことはないけど、いままで数十年続けてききたから、死ぬまで続くとそれで後悔しない人生になると思っています(^_^;)
まあ、たいして才能がないのはご愛嬌ですけど。好きならいいや、と思ってるかな。いつも迷いのない選択が出来るのはありがたいです(^_^;)
絵を職業にすると、特にはやりすたりの変化が速い漫画やイラストというか商業美術だと長く活躍出来る人の方が少ないかもしれません。
でもセンスとかももろもろのことはやはり受け取り手の好き嫌いが大きくものを言うので、必ずしも若い人の絵が魅力があるわけでもありませんね。ここは本当に好みだし、いくら若い人の作品でも魅力を感じないこともありますし。逆に昔の絵師の作品でもいま見ても魅力的というのもあります。
そういうことも思いつつ「時分の花 真の花」を思い出した次第です(^^;)
「いくつになったから絵を描くのをやめる」と言う人は
そもそも絵がそんなに好きじゃないのよ。
いくつといわずにいますぐにやめても問題ないはず。
でも多くの絵が好きな人はいくつになっても描きたい。
その情動は本物だと私は思うな。
「障害者」の中に感じる温度差のようなもの
私が個人的に「障害者」について考える時は身体、知的、精神、内部などすべての障害をひっくるめて考えているんだけど、主に車椅子利用者の人の想定には他の障害についての言及があまり感じられない気がするのはなぜ? 移動の不自由さはあるけどそれ以外の視点があまりないように思ってしまう。
困難さは違ってもマイノリティであることに違いはないのにな、って思う。なんか壁みたいなものの存在を感じるのは私だけ?
内部障害の人のや知的、精神障害でも自由に出歩けない人は一杯いるのにな、って。 そういうところにライトが当たることはほとんどない。24時間TVにわだかまりがある所以ね。
一様に「障害者」と言ってもそういう違いがあってひとくくりには出来ないし、まだまだ差別や偏見を感じてしまうのね。
眼に見えない障害に対しての理解の難しさを感じます。メディアも映像的にならないことは気付かないし、取り上げられないし。 制度面ではかなりフォローはあるけど、意識の面では…。
人目につく華々しい活躍も出来ないので、外部に訴える力もないです。どこかで講演したりとかもないですし、SNSのおかげで同じ苦悩を抱える人たちと繋がれるけど、みなさん普通の生活も不自由だったりするし。
ふとそういう障害の現状はどれだけ理解認識されてるのかなあ?と思いました。
市の交通機関には割引はありますが、この辺市の交通は通ってないです。身体、知的障害の人には私鉄の割引もあります。でも精神障害者に割引はありません。メールで問い合わせたけど、いい返事もなくて。
それ以外の障害はあまり理解されていないイメージが。 だから話題になりやすいバリアフリー自体にはとても関心があるし、いいことだと思います。誰でも歳を取ると不自由になるしね。
見えない障害やコロナの予防についても想像力の貧困と認識の甘さみたいなものを痛感しています。見えないものを気にしなくていいのは楽です。でも私はひとりの子供を見たら世界中の子供を案じてしまうタイプなんですね。見ない振りして心の安定を図るのは無理。
でも団地の人に出会うと徒歩でも自転車でも「買い物大変やね」と言われるし可視されるとそうなんだよね。見えないものへの想像と共感の難しさ。
絵にするのも車椅子はわかりやすんだよね。それは重々承知してるんだけどね。
でもそれだけが障害じゃないよ、ってどう表現すればいいのかなあ?
私自身が身体障害者ならまた感じ方が違うんだろうな…。