薬がなかなか届かない (ーー;)
昨日は速達で送られたはずの抗菌薬が一向に届かず、待っている間に赤く腫れた範囲が左足の後ろにまで拡がって来ました。弟が「もうタクシー代出してもらって取ってくれば?」と言うくらいでしたが、いつもの郵便が届く午後3時にエントランスのポストに行ってみると、抗菌薬がレターパックで投函されていました。全然速達じゃないやん (ーー;)
でもいつも3時なので、3時に投函されたのだとは思います。半端な時間ですが、早速飲みました。夜はまた食後に飲みました。
これで来週月曜に通院すれば4〜5日分の効果はわかるのかな?少しはましになるといいですね。
コロナ騒ぎで他の病気が忘れられそうになっているけど、持病がある人はいろいろ気が気じゃないと思います (ーー;) どうぞお気をつけて。
あ、そうだ。申し込んだことも忘れてたんですが、どうせ当たらないと思っていたシャープさんのマスクが当選しちゃいましたので、まあ、買っとくか、ということに…。宅配送料も含めると4000円近いです。50枚。高いね(;_;) 他にも買ったのもあるけど、どのみち長引くという覚悟をしておきますね (^_^;)
聞くところによりますと、当選確率は110倍以上だそうです。不思議なくじ運だ。
マスクはもうそろそろ市場にも出てきているそうですが。まあ、わざわざ生産ラインを整えて作ったらしいので、品質はいいのでしょう。高いけど。
夏は暑くてうっとおしいですが。
まんべんなく出来なくても別にいいのよ
義務教育時代の私は科目によって成績に差がありました。担任が母に「このIQ(正確な数値は知りません)でどうして出来ないんですか?」と言ったらしいが、そんなん嫌いで面白くないからに決まってるやん、ということです。
IQなんかあまり参考になりませんが、私よりも低い数値で成績がいい子がいたらしく。真面目な子やね〜(^_^;)
好きなことはほっといても独自にどこまでも追及するが、興味のないことはほぼ放置で深入りしない。
別に順位とかに興味もなく、科目によって特に好きじゃないことは平均点でいいと思っていた小学生の私でした。
むしろ凸凹がある方が自分らしいと思っていました。それが私の個性。そういう価値観は小学生の時から変わらないですね。
平均的優等生が好きな教師には理解されづらいだろうなあ、ということもわかっていたんですが、典型的優等生になる気はさらさらなくて。
だから父は「子供を既製服の形にはめるな」と言ってたし。子供の独自性を認めてくれて有難かったです。
そういうのって人間としての教育の原点だと思うんですよね。人として何が大切か、人権とは、生命を教える性教育とは、差別のない社会、平等とは何か、性差とは、福祉とは、家庭生活で自活出来ると技術、必要な時に使える福祉とかその他もろもろ。本当に大切なことを教育のメインにして欲しいなあ、と思います。
知識よりも知恵ですね。IQよりもEQですね。教育が変われば社会も変わるだろうな、と私は思っています。学校という職場内のいじめやセクハラ、パワハラは論外。
私は私立は知りませんが、若い先生がメンタルを病む教育の職場がまともだとは思えないです。個性豊かな子をきちんと伸ばす教育を求めたいです。
そのへんの世界って私の時代から全然上書きされてないんだもんね。教職しか経験がなくて、外の世界の常識的なものを知らない人も少なくないと思われます。例えば生命を守るためのマスクが白じゃないといけないことにどういう意味があるのだ(-_-;) つまんない校則もいっぱいありますし。
そういうのに疑問を抱かないで、いつまで終戦直後の狭い価値観でやってるんだと思います (ーー;)
数字が正解かどうかはともかく、理由はすごく納得出来る。今後別の理由で大人の自殺が増えるのは深刻(-_-;) https://t.co/XFTw8nW0rS
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月13日
人生の選択肢の基本として
それで私個人にとって、「大事にすべきもの、大事にしたいこと」の基本として「好きか嫌いか」が大きなウェイトを占めています。
「好きなこと」は適性があることなので、さらに深く知りたくなるし、追求したくなるし、継続したくなる。べつに学問だけとは限りません。芸術でもスポーツでも好きなものはイコール得意になりますから、そういうものがある人はそれを独自に伸ばしていけばいいと思うんですよね。
ただし「好きなこと」はそれぞれに違います。仲がいい友人と同じ道を行くとかにはならない可能性も大です。でもひとりきりでも、好きなことはやっぱり大事にして欲しいと思います。夢があるなら夢をかなえるために。
ブログだって誰もが続けられるわけないやん。本当に好きだからこそ何年単位で続けられるんだと思うしね。続かんのはそもそも書くのが好きじゃないから。
他の目的で文章を手段にしようとしても書くのが好きやなかったら続かんて(-_-;)
でも別に続かない人を責める理由もないよ。そんなに好きじゃなかった、ってことだと思う。それも個人差と人それぞれで。好きじゃないことは無理しなくていいです。
むやみやたらといいと思うことを他人に奨めても無駄なわけがそこにあります。奨められた人が好きじゃなかったら続きません。それもその人のせいではないので、仕方がないですね。
私はほとんど「これをやってみたら?」というのは奨めません。相手がそれを好きかどうかわかりませんし、好きでなければむしろ負担になることもありますし。参考程度には「こういうのもあったよ」くらいは言いますが、それ以上は言わないな。
嫌いなことも大事
「嫌いなこと」はこれも根源的なものなので、努力して好きになるのはかなり無理だろうと思います。嫌いなものを好きになろうと努力するにはストレスを伴います。嫌いなことを無理強いされるストレスはそれこそ学校時代にかなり経験してきたストレスです。
たとえば私も子供の頃は卵かけご飯も食べてたんです。生卵が食べられた。でも小学校の給食で散々嫌いなものを食べるのを強制されて、本来食べられていたものも食べられなくなってしまった。
生卵以外にもたくさんあります。身体が拒否する。無理矢理な押し付けはまったく逆効果にしかならないという例ですね(-_-;)
私もそういうのは拒否感から身体症状になりがちだから。
そのエネルギーを「好きで得意なこと」を伸すのに振り向ける方が生産的で合理的ですね。
自分が嫌いなことや苦手なことでも、世の中にはそれが好きな人もちゃんといて、だからあらゆる職業も成立するのではないかと思います (^_^;)
好きというほどでなくても、あまり苦手意識がなくストレスもあまりなく続けられるのは「適職」。そういう選択肢も可能です(^_^;)
たまたま見つけたこの人は「やりたくないことをやらない」選択をした人ですね。これもすごく大事だと思います。
人生ってそんな感じでいいんだよね。だから私が私らしい好き嫌いは生涯あると思うし、無理やりになくす必要もないと思っています。好きか嫌いかはすごく重要な選択基準だと思います。