体育嫌いは一生続くという現状
昨日ツイッターで見かけたこのつぶやきに、本音でリツイートしたら、今見たら中途半端に多い「いいね」が増えていた(^_^;)
ええー!私なんか体育の授業と給食のせいで不登校になってもおかしくないと思ってたのに!大嫌いだった。運動神経ないから。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) August 13, 2019
そうか、そうだよね。スポーツ苦手で運動神経の鈍い人って少なくないと思います。なんか賛同してもらえたみたいで嬉しい。
私にはボールが凶器に思えてました。とりわけドッジボールの恐怖といったら…。最近はやっとそれも禁止の方向になりつつあるようで良かったと思います(^_^;)
運動神経が鈍い子には丸いボールでも凶器に思えるんですよね〜。意地悪で狙われたら恐怖なんてものじゃなかったです。相手に悪気がなかったとしても。攻撃だとしか思えない。だってかわす能力がないから。当たってもそんなに痛くないと言われても怖いには違いないです。
子供の頃にスポーツは楽しいもの、だと教えてもらえば一生の財産になるのになあ。少なくとも抵抗が無くなりますよね。その辺とは多分逆をいっている今の体育指導はおかしいと思います。
これは私の実感ですね。身体を動かすのが楽しいという認識があればちょっとした体操や、いくつになっても軽いスポーツに抵抗なく取り掛かれて無理なく健康づくりができそうです。好きならば。
それが苦手意識と億劫さに負けてる現状なので…(-_-;)
楽しいスポーツ 勝負したいスポーツ 多様がいい
あらゆる勉強の基本はやっぱり楽しさじゃないかと思います。算数は楽しいとか、国語や社会は楽しいと思えるように、運動が不得意な子にも「体を動かすことは楽しい」と義務教育のうちに教えて欲しい。
それを知った子供達は大人になってもスポーツのきっかけに出会えると思うし、生涯身体を動かす楽しいことにも出会えると思う。
そういう基礎の段階でスポーツ嫌いにさせるのはどう考えてもおかしいし、ちゃんとした教育だとは思えないですね。何十年も未来を見越した教え方をして欲しいと思います。
老人になっても動いてみるのが楽しいと健康的でもいられると思いますし。
どうしてそこまで考えが及ばないのかな?不思議。
普通に勝ち負けに関係なく、ただ楽しみというのがあってもいいですよね。
もちろんプロ的なスポーツをやりたい子の意思を大切にするのも大事です。そういう子はそういう子で、別の伸ばし方があると思います。
才能や思考や身体能力がバラバラな子供を全部まとめて揃えようというところがそもそもおかしいんだと思うよ。私いつも言ってるけど。既製服に当てはめることが社会を窮屈にしていますよね。
個人個人で子供の得意を伸ばしてあげればいいと思うんだけどね。どういう科目でもね。苦手をまず埋めるより、得意を伸ばした方がその他のことものびやすいし、苦手も克服しやすくなると思います。
どんな科目でも、点数や成績だけが全てではないと気づいて欲しいです。
落差が激しい私
昨日、作業療法士さんに言われた。「恭子さんは『やらなきゃ』と思うとバーっと勢いで行っちゃって、後でドーッと落ち込む落差が大きいですよね」
そうなんです。いろんな人に言われたから、それが注意事項になっているな、と思いました。
慌てない、飛び出さない、と反省しながら行動の指針にしようと思っています。
昔、母が見ていたテレビ「さんまのまんま」のセットの掛け軸に「落ち着け」と書いてあって、笑いながら今でも忘れてない、ってことは私には重要なんだと思います。
で、掛け軸。落ち着いて行動しよう(^_^;)
ものでも人でも言葉でも何年、何十年経っても忘れないことって、自分にとっては大事なことだと思います。