久々の激しい雷雨です。しかも3時間近くたってもまだしつこく降ってますし、鳴っています。こういうしつこいのは好きじゃないですね。だんだん南国のスコールに近づいていますね。嶺
なんだかドラマみたいで嫌ですが、気持ち的には嵐を経験したかのような感じですね。
今日は病院で救命救急の担当の先生と会いました。父の場合、現在肺にかなりの水が溜まっていること。それゆえに呼吸が苦しいこと。午後からでも可能ならば水を抜く処置をするとのことでした。
が、父の場合はこれからも頻繁にこういうことを繰り返し、しかも良くなるわけではなく、悪くなるしかないといことで、ここの病院ではいつも空きベッドがあるわけではなく、いつも入院できるとは限らない。家族内で話し合って、退院後にしかるべき施設を捜すか、そういう方向性を決めて欲しいとのことでした。
要するに回復の可能性がある患者さんしか看れない、という現実があるわけですね。今の病院制度ってそういう方向に改悪されているんですね。小泉政権時代の影響がいまだにありまして。練 後期高齢者に対する扱いってこういうふうにひどいんです。お金ばかりかかって、治らない老人は早く死ね、と言われているのと同じです。
先生は父がなにを話しても理解していないと思われてるようですが、実は眼が上方固定していない時の父はそういうこともちゃんとわかっていて、先生がその場を去ると、顔をくしゃくしゃにして、声を出しました。きっと泣きたかったんだと思います。かわりに涙を流したのは母と私でした。輦
老人病院を捜すといっても、数ヶ月待たなければ入所出来ないことの方が多いようです。だとすれば、今回の急性期を過ぎて退院が出来れば、あとはもう最期まで家で看るしかないですね。つまり自宅がホスピスになるんですね。末期ガンなどの患者さんと同じように…。
急変があっても救急車を呼ぶわけにもいかず、かかりつけの先生の往診も、診察時間中ならばすぐには頼めないし、本当に家族のみで看取るか、あるいは誰も知らないあいだ(睡眠中)に亡くなってもそれで仕方がないってことなんですね。今度家に帰るというのはそこまでの覚悟が必要なようです。
でも、と考える。遠くならば家族も頻繁にお見舞いに行けないような病院で、孤独に何ヶ月か生き長らえるのと、たとえわずかな日でも家族の声が聞こえる家で死ぬのとどちらが幸せなのかなあ、ってことですね。だとしたら、父はやはり家に帰ることを望んでいるだろうと思います。人工呼吸器を拒否した段階で、それをある程度選択していたのかもしれません。
あとはかかりつけの先生と訪問看護ステーションの看護師さんたちとマッサージの先生とケアマネさんと、みなさんの手をいままで以上に借りて、悔いのない日を残さねば、と思います。
父が入院中に課題を仕上げて提出してしまわないとなあ、と。今年はどうやら試練の夏になりそうですが…、覚悟を決めたら頑張るしかないですよね。嶺
…そういうわけで、わが家はもうじきホスピスになります。