
外に出るとなんともいい香りが…。キンモクセイでした。例年よりひと月遅れで咲いている。暑さがダメだったんだろうと思いますが、気温を察知して修正したと思われます。自分の自律神経の反応と、それの調整期間を思うとキンモクセイに共感が…。さすがに植物神経の反応だなあ、とひとりごちています(^^;)
私の一連の自律神経失調の症状はもしかすると一種の強制的なデトックスだたのかもしれません。インフルエンザとかの高熱の時によくそう思うんですが、しばらくそういう発熱がなかったから、そのかわりかも。なんとなくそう思いました。
「胸の湿疹が良くなってきてる! 感動する〜(^^;) 」と言われる看護師さんに先月の写真を見せてもらった。本当に良くなってる、嬉しいです(^^)
私は我慢強い方じゃないけど、皮膚疾患はとにかく根気がいるので我慢が多かったから。でも目に見える改善があるからありがたいです。まだまだ完治まで頑張ろう(^^;)
死ぬ時
— 【運命研究家】 (@fate_researcher) 2025年11月4日
寿命で最期を迎える人(老衰だけではなく若年者も含む)は、とても眠い状態で逝くことが非常に多いようだ。
なぜ眠くなるのか?
①体が「休むモード」に入る
心臓・肺・脳の力が弱まり、酸素やエネルギーが全身に行き渡らなくなる。
→ 脳が「もう無理だから寝かせて」と信号を出す。…
両親を看取りましたが、2人ともその通りでとても穏やかでした。寿命まで精一杯頑張ったね、というご褒美のような自然な死だと思いました。
— はるうさぎ/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2025年11月5日
これって本当にそうなんですよ。私の家族はみなこういう穏やかな死を迎えています。寿命なんだな、というのはそれまでの人生の経緯を知っているから納得出来ました。家族それそれに課題があって、それぞれにそれを果たすことで苦痛が少ない穏やかな死を迎えています。
まあ、父などは最期の眠りの前にものすごく意識がはっきりすることがあって、脳梗塞でしたけど、多分今度眠ってしまうとお別れだと察知したのだと思います。24時間近く起きてましたが(^^;) 眼が全然違ったから私も思わず「魂の目がひらいたね。パパ、頭はクリア?」「うん」という会話をしました。なんでそういうことを言ったのか自分でもわかりません。でも父がそれで安心したからいいんです。
ロウソクの火が消える前にひときわ明るく燃え上がる瞬間がありますが、命もそうなんだと思いました。死を恐れていた父でしたが、穏やかな気持ちでその時を迎えられたのは本当に有り難いことでした。私はそのために在宅介護をしていたんだと思います。最期の時に母は父の手を握って子守歌をハミングしていました。
在宅での死に臨んで、かかりつけの先生とケアマネさんがHCUからの直帰が出来るように取り計らってくださって、だから16日間は家ですごすことが出来たんですね。前日などは先生は5度も様子を見に来てくださって、ケアマネさんも終日詰めていらしてくださいました。訪問看護、介護関係でお世話になった方々がみなさん顔を見せてくださったのも嬉しいことでした。16年前のこととはいえ、そういうことが可能だったのが有り難かったです。
私が安楽死や自死に反対なのは、家族の「寿命を迎えたことによる穏やかな死」を知っているからです。安楽死は思惑も絡んで犯罪が派生する危惧もありますし。
そこに至るまでに人為的に切るのはどうなるかと思うと(これは輪廻転生を信じている人にしか理解できないかもしれませんが、少なくとも「死んだらおしまい」とは感じていない場合には伝わるかな?)推奨出来ることではないと思っています。
若くして病気や事故で亡くなるケースもありますがそれはそれで寿命ではあるんですよね。ただし末期の苦痛を緩和する「鎮静」というのはありだと思いますが。(だから緩和ケアですね)
かつて知り合いのおばさんが自力呼吸が不可能になったとき、そのご家族は心の準備が出来ていなくて人工呼吸器の装着を願われました。でも意識もなく、ただ機械だけで生かされている状態で2年間。ご家族はすっかりくたびれ果ててしまわれました。ご本人もかわいそうだと思います。そうならないために本人や家族の意思確認が大事ですね。
あとよく聞くのが延命措置をどうするか?という段階になって、普段は顔も見せない親族が横からあれこれ文句を言うケースもあります。「かわいそうだから延命させて欲しい」と主張する親族。うちは親族が少ないから本当に家族まかせで良かったですが、閉口した人の話はよく聞きますね。口を出す人が手も貸してくれたら言うことないですが。
本当はね、いま生きているすべての人に静かな時限爆弾のスイッチが入ってるんですけど、具体的に知らされないと自覚出来ないのが人間ですよね(^^;) 突然の事故とか災害とかもあり得るし、でもそれに気付かないからぼんやり生きていられると言うのもありますね(^^;) 具体的な作動を意識すると、いきなりその自覚が強くなります。
死生観はとても個人的なもので、さしあたっては特定の宗教とも無関係のこともありますが、でもどんどん突き詰めていくとあらゆる宗教的なものが突然理解できてしまったりすることがあります。裏付けるのが自分の実体験と主に読書による長年の知識かも。あっても無駄じゃないのは確かです(^^;)
実は私もいま、いきなりやる気が出てきたっぽいです(^^;) ふと気がつくとお絵描き技法関係の参考書を物色してました。いまからAIのみならずアナログ的なことも学びたいらしいです(^^;) 読書もしたいし本も作りたいですしね(^^;) なんだか急にやりたいことがたくさんでてきたみたいで。これは身体と精神を超えた魂が発動したのでは…?(^^;)
身体がないと出来ないことはいまのうちにやっときたいですよね。後悔しなくてすむように(^^) こういう反応が起きるとは自分でも想定外ですが、でも面白いですよね(^^)
身体が休みたがるのとどう折り合いをつけるのかも課題です。だってお布団の中が気持ちよすぎて…(^^;)
おお、今回は要約以外は全部自分で書いちゃった(^^;) まあ、いつも対話以外は自分で書いてはいますけど。ブログもやっておきたいことのひとつです(^^)
AIによる
「死生観を持つ」とは、自分なりの「生と死」に対する考え方や価値観、哲学を持つことを意味します。この死生観は、自分の生き方や人生の目的、意義を見つけるための指針となり、後悔のない人生を送る上で非常に重要です。
死生観を持つことの重要性
• 人生の指針となる: 死をどのように捉えるかによって、おのずと今の生き方が変わってきます。死生観は、自分にとって何が大切か、どのように生きるべきかを考える助けとなります。
• 死への恐怖や不安を和らげる: 自分なりの死生観を持つことで、いつか必ず訪れる死に対する心構えができ、漠然とした恐怖や不安を軽減できます。
• 後悔のない最期を迎える: 自分の最期について具体的に考えることで、生前にやりたいことや大切にしたい人間関係を再確認でき、後悔を残さない人生につながります。
• 終末期医療の意思決定に役立つ: 延命治療の有無や尊厳死など、終末期に関する自身の希望を明確にし、家族と共有しておくことで、いざという時に家族が判断に迷わずに済みます。
自分なりの死生観を育むために
死生観は、宗教や文化、育った環境、経験によって多様です。以下の視点から、自分なりの死生観を考えてみましょう。
• 自分の最期を想像する: どのような場所で、誰に看取られながら最期を迎えたいか、苦痛のない最期を望むかなどを具体的に考えてみましょう。
• これまでの人生を振り返る: 過去の経験や価値観が現在の死に対する考え方に影響を与えています。自分が大切にしてきたものは何か、どのように生きてきたかを振り返りましょう。
• 様々な死生観に触れる: 仏教の輪廻転生や神道の祖霊信仰、キリスト教の死後の裁きなど、宗教や文化によって異なる多様な死生観について学ぶことも一つの方法です。
• 大切な人と話し合う: 家族や親しい友人と、生と死について意見を交換することで、お互いの価値観を理解し、自身の死生観を深めることができます。
「死生観を持つ」ことは、単に死について考えるだけでなく、今この瞬間を自分らしく、より良く生きるための礎となります。

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