お腹の調子は大事よね
このタイトル、AIさんにつけてもらいました。硬いよね。自分だったらつけない類いのタイトルです。そんなにお堅い内容じゃないし。これで読者が増えるか疑問だな。どうもわからんのですが、読者さまの好みでもないような気がします。
看護師さんが何故か今日は5時とか言われるので、それまでにまとめられるだけ書いていきますね(^^;) 夜は寝るから無理です。でもよれよれの文字の年賀状は投函したので、ひとつクリアしました。あとはやはりお参り関係かな。
20年前、まだうつ病と診断されてたころ、トフラニールの副作用が便秘になるんですごく嫌だった。気持ちが悪くて。自分でもこれは不穏になると思ってた。ひどくなると叫ぶかも、って。なにに換えてもらったか忘れたけど、双極性障害の薬にはそういう副作用がなくてとても安心になる。ねたきりの人の不穏も案外そういう原因があるのかもね。
そういえばうちの家族は鉄壁のフォローだったかも。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2023年12月19日
でもちゃんと人生でお返しというか、お礼は出来ました。
両親が亡くなる時まで「自慢の娘」でいられたみたいで、
この無条件の信頼と愛情が親からもらった最高の宝かも。
根拠のない自己肯定感だと思います。… https://t.co/WzoPdyEDTD
ご先祖に呼ばれた話
昨日、長身のマッサージ師さんにお聞きした話。
「ぼく、失業中でいろいろ困っていた時に夢をみましてね。ご先祖さんが『墓参りに来んかいな!』と半分怒ってはるような夢で、起きてから奥さんに話したら、「あかんわ!このごろおまいりしてへんわ(-_-;)」ということで、ご夫婦揃ってばたばたとお墓参りに行かれたそうです。
「うふふ、なにかいいことあったでしょ?(^^)」
「はい、おかげで仕事のチャンスをいただいて、職を得る事が出来ました(^^)」って。呼ばはるくらいやから、協力なサポートのあてがあったんだと思います(^^)
こういうの結構あるあるです。ご先祖はやはり子孫のことを案じておられますしね。こういう話が「遠野物語」に載っていてもおかしくないです。
うちも檀家をやめる前は毎年大晦日にお墓参りに行っていました。翌日の初詣での前にご先祖にご挨拶。
私が知る限りでは美しい文字を書く秀才はいない。あれ板書したら生徒さんが困らないか?というレベル。現実はそんなもの。昔の手書きカルテの判読も最初は大変だったし(-_-;) https://t.co/QxErHXtcAU
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2023年12月20日
高校の世界史の先生は「ノートなんかぐちゃぐちゃでええねん。消しゴムとか使わんでええねん」と言われていたけど本質だったな(^_^;) 見かけにこだわる分、中身の理解に力を入れろ、みたいな感じです。
専門的なことは知らないなあ
そういえば昨日ゆきにーさんが哲学書のことを書いてらしたので思い出したんですが、意外と私は哲学書って読んでないのに気がつきました。知ってるのは哲学者の名前くらいかな(^^;)
高校生の時、私がいつも考えていた「いかに生きるか?」みたいなことは基本的には哲学というやつなんだろうな、と思ってた。誰にも話せることじゃないと。でも意外に哲学書はほとんど読んだ事がないですね。難しそうで手が出なかった次第(^^;)
最近やっとぽつぽつアドラー先生とかフランクルとか読んでますけど、有名な方々はお名前くらいしか知らなかったり。でも現実の中でえんえん問いと答えが出てくるので、これも哲学みたいなものかなあ?とは思います。
結果として自分が実際に経験したことが重い意味を持つようになって、とりわけ死生観などは大切なものでした。
私が初めて家族の死に立ちあったのが9~10歳頃、祖父の死でした。直腸ガンの発見が遅れ、病院での検査後、わずか半月自宅で寝ついて亡くなったものです。当時は畳の上で死ぬのが当り前でもありました。昭和40年代かな。同じ年に母方の祖父も肺ガンでなくなっています。
子供でも家族の死にはきっちり立ちあっています。だから13歳頃までは「死」というものが自分に訪れる時がくるのか、と怖かったです。それ以降は開き直って、さらに深く考えるようになった感があります。哲学的なものは私の人生そのものだったみたいです。なんか今生はめちゃくちゃいろんな体験をさせてもらってる感があります(^^;)
高齢者の延命云々に言及する人たちは家族の終末期の看護と看取りをちゃんと最期まで自分でやる覚悟があるのかな?と時々思うよ。
「自分の頭で考える」とは、「誰かのコピペ人間にはならない」ということだ。
— +M laboratory (@freakscafe) 2021年1月19日
そして、そのためには、「誰のものでもない知恵」を受け継ぐ必要がある。
自分の頭で考えるとは、孤立した立場で考えることではない。
先人が蓄積した知恵のアーカイブにアクセスできる身体性を持つということなのである。
今日のAIさん
相変わらず中国的な風景画にチャレンジしていますが、なかなか「空中に浮かぶ」ようには再現してくれないです(;_;) 杏珠さんは普通の着物なら見れる感じになりました。似てないけど。でも巫女装束とか十二単はまだまだ無理だろうな。
ペンギンが飛んでないですか??(^^;)
なんか一番神々しい感じ(^^)