居心地のいい空間
いまは昔。お正月に伯父の家に挨拶に行くと近辺の親戚が大体集まっていて、ビールを飲みながらご馳走つまんでよもやま話に余念がなかった。でも従姉たちや私がお年ごろになっても結婚とかそういう話がまったくでなかった。男性陣は仕事や研究や「いまやっている興味深いこと」の情報交換みたいになっていた。父もおおいに勉強になると楽しんでいた。なんかうちの親族はこういう感じかも(^^;)
私がその末席にいてもきわめて自然で居心地がよかった(^^;) 女だからどうあるべきか、ということもないし。あんまり俗っぽい流れにならない不思議な空間でした。
伯父は祖父が失業中でもせめて高校に行きたいと言う母のために「僕がタバコをやめるから、それで行かせてやってくれ」と言ってくれた人です。恩人です。
穏やかで理解が深い伯父もおととし99歳で逝き、やはり良き理解者のデザイン会社の社長さんも一昨年、母の親友のTさんも去年、次々に現世から旅立ってしまわれた。理解あるよき人の死はこたえる。
両親もしかりだし。
まあ、それだけ深く関われたことは幸せですが(^^)
![]()
読むことと学ぶこと
勉強は「強いられ勉める」ものであるのかもしれない。しかし、学ぶことはやはり幸せなことなのではないだろうか。別な言い方をしてもよい。学ぶ意志を失ったとき人は、不幸の顔を正面に見すえることになるのではあるまいか。学べ。生活のためだけでなく、世にただ一つのおのれの人生のために、学べ。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) 2025年1月3日
ずいぶん本を読んできたと思うんだけど、もちろんすべてを覚えてもいられないけど、最近ぽこっと突然に意外な言葉が飛び出したりする。しかもわりと的を得ていたり、普段は使わないから新鮮に思える単語だったり。
読書というのは記憶の何処かに潜んでいて何年何十年経っても浮かび上がって出て来たりする水底の湧き水みたい。自分の過去からの贈り物のようだとも感じる。面白いね(^^)

「学ぶこと」は自分を知ることなので、強要される受験と違って基本的に楽しい。この歳になると選択の基準を「楽しいこと」にするとまちがいがないですね(^^) 生成AIなども楽しいからやってるんですが。
思えばうちの親族って誰も「勉強しなさい」と身内に言われたことがないと思う。やるのなら自主的に自分なりの方法を見つけていた感じです(^^;)
言葉を探せ。明日になったら変わる「有益な」情報ではなく、変わるというより深まっていく、意味を宿した一つの言葉を探せ。何かを解明してくれる安易な道具のような言葉ではなく、生活とは異なる「わたし」の人生へと誘う素樸な言葉を探せ。どこかにではなく、これまで生きてきた日々にそれを見出せ。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) 2025年1月3日
![]()
そのまま静かな空間がいいな
ずーっと読書ベースで生きてたので、ネット経由の音声が入るあれこれが苦手です。動画も基本的に動物ものだけで殆ど見ません。音楽もお絵描きのBGM以外では聴きません。
AppleのSiriの無断録音がどうこうと言う話ですが、私はいまだにSiriも使ったことがありません。立ち上げたこともありまえん。androidのアシスタントもキーボードです。嫌いだからビデオチャットもやりません。やらない自由もあっていいと思います。スマホも電話機能があればいい感じだし。
緑が多くて野鳥も多くいるここの環境は気に入っています。不便だけど(^^;)
去年、生成AI関連の本を4冊ほど購入して全然読めていません。私もマニュアル読めないタイプだったのでした。結局手探りでやってたりして(^^;)
![]()



「マジシャン」のテーマがなぜこうなるのか???