呪詛はやっぱり良くない気がする
おはようございます。さっき起きたばかりですが、もうひどく足がだるいです。初夏から秋は、気分の上下動じゃなくて身体症状の強さと闘う日々、すぐにベッドの誘惑に負けそうになるけど。高くつくけど、冷凍の毎日のおかずとか考えて見るべきかもしれないですね(^_^;)つくづくあのタイミングでお参りに…
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2024年5月5日
Twitterを見ていると、「この人かなりうつ傾向だよなあ」と感じる事があります。半年くらい前からですが、お仕事は編集者さんみたいです。でも私がもしこの人の友達だったら「ちょっと休んだほうがいいのでは?」とか「心療内科を受診してみれば?」とか言いそうなんですが。でもそういうことを直接に言えるほど親しくないですしね。悩ましいです。例え言っても聞いてもらえないと思いますし。
で、このかた先日、呪咀の話題になってて「どんどんすればいいのに」と言ってらしたので、おいおい、結構とんでもないかも、と思いました。影響力がある人だから困ります。知識はあっても智恵と経験が足りない感じです。
「人を呪わば穴ふたつ」と昔から言いますが、ある程度は本当じゃないのかなあ。それよりも私はせっかく神様とのご縁があるのだし、成り行きは神様にお任せして、一人でも多くの人の幸せを願いたい感じ。神様には「あの人を放置しておくと非常に良くないことになると思うので、もっと適切な人物に交代させてもらえませんか?」くらいは言ってますが(^_^;) これは別に呪いじゃないよね?
呪咀には個人的に禁忌が働きます。近寄ってはいけない場所がなんとなくわかるのと同じです。貴船のお山もとてもスッキリしていたし。あそこの神様も今はそう言うことを訊いてはいらっしゃらない感じだったし。
私は霊感ないですけど(^_^;) なんとなく良し悪しがわかる感じです。
貴船も好きなんですが、行こうと思ったら京都の南の端から、北の端までのえらい移動距離になるので、前の時は観光タクシーを2、3時間借りきりでお願いしました。一緒になる行く人がいれば割り勘が効きますが。
でも結局、高靇神(たかおかみのかみ)様の奥宮を人払い状態で一人でゆっくり参拝できて良かったです(^^)あそこは澄み切った綺麗な水の神様ですね。水資源を大切に、と示唆されます。龍神様でもありますし。
またお参りの機会があればいいなあ。
デモやストライキを「迷惑行為」と捉えるのは権力者であり搾取側だ。なぜなら憲法で認められている国民の権利だからだ。それをイチ労働者側でありながら否定する者は「一生搾取される奴隷で構いません」と言ってるのと同義語だぞ。政府やメディアや学校が言ってることは基本疑って掛かったほうがいい。
— 桃太郎+ (@momotro018) 2024年5月5日
そう、目茶苦茶ハードルが高い家事ですね。よほどマシなときでないと出来ません(^_^;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2024年5月6日
個人的にはもともと料理が嫌いだから最高のハードルです(;_;)あー、お風呂の方がずっと簡単。 https://t.co/zueCoaPPV2
書くという癒しの手段
作家の小川国夫が「なぜ書くのか」と題するエッセイ(『雲間の星座』所収)で「私は〈癒えたい〉と思って小説を書く」と述べている。誠実な告白だと思った。小説に限らず詩や随想でも、創造的なものは何であれ、人は自らを癒すために書くのではあるまいか。書くことこそ人を深く癒すのではあるまいか。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) 2024年5月5日
「書く」ことを、あまり深く発表とつなげてはならない。祈るとき人は、その言葉を誰かに聞かせたりはしないではないか。「書く」ことは、昔の医者が薬草を調合するのに似ている。人は「書く」ことによって自分だけの霊薬を世に生むのである。それが他の人に効果がなくても全くかまわないではないか。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) 2024年5月5日
「うまく」書こうとしてはならない。見た目はよいかもしれないが、ほんとうのことが書けなくなる。私たちが、真に必要とするのは、整った言葉ではなく、生きた言葉なのである。整った言葉でよいなら社会は、もっと暮らしやすいだろう。また、自分にむかって、自分を偽っても全く意味がないではないか。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) 2024年5月5日
誰かに話すことでも人は自らを癒し得る。20世紀は心理学の時代だったがそれは「話すこと」の再発見でもあった。だが私たちは眼前に誰もいない場合でも、自らを癒さねばならない。そうしたときこそ「書く」のである。全身全霊で自分に向って手紙を書く。私はそうやって、今日までどうにか生きてきた。
— 若松 英輔 (@yomutokaku) 2024年5月5日
私も絵も文章も究極は自分のために書いていると思います。たまたま他の人の心に触れる時はそのままでいいけど、このいろいろな不自由を抱えている人生を最高に自由に解きはなつ手段が書く(描く)ことだからそれでいいんだと思います(^^) 実際にそれで癒されてるしね(^^)
だからきっとセルフカウンセリングが可能になったんだと思います、しつこく20年以上描き続けた成果です(^_^;)
人だからこそ出来る手段でもあります。動物には無理なんだなあ、と思うと人としての幸せを噛み締めてしまいます(^^)
霊的真理の探究は孤独な世界です。現状では霊性開花を目指す者はマイノリティであり、普通は孤軍奮闘の寂しさが伴うところですが、実際は真理を得心するに連れ、守護霊や親族霊、自然霊や宇宙との親近感が増して寂しさは無くなります。要は、人といつでも仲良くなれる自分であれば、それでいいのです。
— 佐々木 剛行 (@takayukipoipoi) 2024年5月5日
中途半端に知ってるジャンル やりづらい(^_^;)
今日のテーマは「医師」です。いや、サンプルの中に医師がテーマの1枚があったから、ちょっと遊んでしまいました(^_^;) でもこの職業は若すぎると無理なんで、いつもよりちょっと歳を重ねたイメージです。20代後半か30近い?? なんでかコマ割りが多いですが。何科の専門なのか、全部見てみてもわかりませんでした(^_^;) AI任せにしちゃったし(^_^;) なんとなく外科ではなさそうな? わかんないなあ。こういう仕事はお髭の先生が貫禄あって素敵ね(^^) 多分二回に分けてお送りします(^_^;)
いかん、熱が上がりそうです(^_^;)
母が「救命救急24時」の江口洋介さんの大ファンだったことを思い出します(^_^;)
そうだよ。あの人は多分もれなくだれが見てもカッコいいんだよ(^^;)
ドラマまで作るのはやめときます(^_^;) いや、でもAIさん、本当に遊んでくれてありがとうね(^^) かなり本気を感じたわ。
おまけ。
新バージョンの絵柄だとこういう感じです。
プロンプト自体は全くいじっていません(^_^;)
雑誌の表紙を撮影中、みたいな(^_^;)
さやちゃんも無事に登場(^^)