いつも読んでいるブログのブロガーさんがこの夏くらいに「円満離婚しました」という報告をしてらっしゃいました。お子さんたちが成人したし、夫婦で取り組むべき課題に一区切りついたということで、もめることなく円満離婚。
私的にはそういうのもアリだと思うし、全く文句とかつけようもないんですが、その方が書いておられるには「離婚しました、と報告したらブログのアクセスが激減しました」そうです。
うーん…、この現象はなんだろう??ブログのアクセス数を見ていると、何がどうなのか不思議に感じる現象に出会います。
人というのは苦痛や悲しみの感情などには共感しやすいのかもしれませんね。どちらかと言えば「一般的な不幸」というのはわかりやすいです。
でも、幸福の概念はその人の価値観によって左右されるので、多種多様な気がします。
前の記事で、私はほとんど(健康以外で)他人のことを羨まない、と書いていましたが、よくよく考えると誰が何を自慢していても、それが自慢だとは思わない、というのもあります。その人の価値観次第だし。
そもそも海外旅行とかブランド物のあれこれとか、そういうのは私には興味がないし。羽生さんの応援に海外まで行ってきました、というのはいいなーとは思いますが、それも特に羨ましくはないのですよね。
その人の価値観で決定&実行されてるんだから側からあれこれ言う必要ないよな。現地レポとかしてくださるとそれも楽しみですし。
だからなんだろう?やはり私にはどれが普通の記事で、どれが自慢だとかはわからない。どこまでも普通のこととしか思えないのです。自分が書いているのもそういう事実だと思います。
受け取り手の人にどういう風に解釈されるかは別として、そういう価値観の多様性は認識しておかないと苦労するからさ。人間関係については適度にゆるいほうがいいのかもしれません(^_^;)
自己肯定感は短所も含めての自分で、それを含めての相手を受け入れることだから。
自己肯定感は「自分の良いところも悪いところも認めて向き合い、ありのままでOKだと受け止めて尊重すること」なので、自分が全て正しいという考え方は逆に「全て正しくないと自分自身も受け入れられないし、他者にも受け入れられない」と感じる、自己肯定感のひじょうに低い状態ではないかと思います。 https://t.co/cgKMglFoek
— 中林 香 (@kaokou11) December 24, 2018
まったく言い訳をしない潔い姿勢を貫いているにも関わらず、ファンじゃない人たちからいいように誤解されたりしてしまう羽生さんの受難を見ると、どんな高尚な生き方をしていても悪く取りたい人はいるんだな、とため息が。受け取り手の姿勢までどうこう出来ないし。嫉妬とかいろいろあるんだろな。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 26, 2018
結局人というのは自分の基準で観たいようにしか相手を見ないのかもしれない。たとえどんなに人格者でも万人に好かれようというのは無理なこと。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 26, 2018
英二が「何があっても僕だけは彼を信じようと思った」というのは最上級の好意だと思う。(BANANA FISH)
多くの友人は必ずしも必要じゃなくて、この「何があっても信じる」レベルの友人が得られたらそれだけでその人生は満ち足りたものになると思う。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 26, 2018
「BANANA FISH」の結末、アッシュはずっと求めていた最高のものを得て死んだから、とても幸福だったと思うんだけど、あれを幸福と思えない人もいるんだなあ。人生長く生きたおばさんにはあれ以上の幸せなんて想像できないぞ (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 26, 2018
お絵描きなんとかここまで。寒中見舞いくらい作れるかも。
明日は朝一で区役所と法務局に行きます。