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つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人を生かすのも殺すのも言葉だと思う

 

Androidタブレットの顛末

 

Androidタブレットのことですが、ケースというか、カバーというかがまだ今日しか届かないので、まず出来る範囲だけ、と思って、Gmailの同期とFacebookの接続と、ホームのカバーの変更と、あとは無料のウィルスソフトを入れるまではやりました。

 

が、いかんせん画面が小さくて、というか文字が小さくて、眼鏡を外さないと字が読めないのが難儀ですね。やっぱり老眼なんだろうな。Macのモニタは眼鏡がないと見えないし、モニタを見ながらタブレットを触ろうとするとちょっと大変なことになりますね。

 

あとはiMacChromeの設定の時に新しいアカウントを作ったのが、旧カウントも私と同じだと認識してくれなくて、アカウントの統合とかも無理なのかわかりませんが、ゆえにChromeのブックマークの同期が難しくなっていることも困ります。Safariのブックマークを書き出して、どこかcloudに入れてコピペするのもいけるとは思うんですが、気力が尽きてまだそのままです(ーー;)

 

便利なのか不便なのかいまいちよくわからないGoogleなのでした(ーー;) でも私がこういうことを四苦八苦していると、看護師さんには詳しいと見られていたりするんですよね。まあ、年齢の割には詳しい方になるのかもしれませんが、私、一応Macは30代の時から触ってるんですけど…(^_^;)

 

一度だけ自宅に出張サービスの人に来てもらったことはあります。確かシステムの入れ替えが必要になったんですが(あれ?再インストールかもしれないなあ)iMacのキャンディカラーの時代ですね。私のはインディゴで画面なんか800×600ピクセルしかありませんでした。タブレットなんか1280×800ですから、隔世の感がありますね。

 

サービスの人の作業を後ろで見ていて(その場は離れませんでした)方法がすぐに理解できたので「次は自分でやれるわ」と確信が持てて、結局お金は払ったけど、その分、私には家庭教師になりましたし、良かったことではありました。なんとなくその時に経験が未だに生きてる感じです。

 

www.mikinote.com

 

そしてやっぱり検索の達人にもなりましたしね(^_^;) いまは失敗を恐れずに結構大胆にできるのがいいのかもしれません(^_^;)

 

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使いたくない言葉がある

 

そういえば24時間テレビというのを見なくなったのはいつだろう…?

 

初めの頃は、手塚治虫さんのオリジナルアニメが放映されていて、それを目的に見てましたけど…。「サライ」の歌が出来ていく過程とかなんとなく知ってる気がするから、その辺までは見ていたかもしれませんね。

 

でもなんというか、大事なことではあるんだけど、障害者だけが、病人だけが良きにつけ悪しきにつけ、特別視される傾向が嫌になったのかなあ…。もっといろいろな人が普通に多様化して生活している町が普通だと思えるようになって欲しいと願ったのかもしれません。

 

私は自分が悲劇のヒロインになるのも嫌いですけど、他の誰かのことを悲劇のヒーロー、ヒロインにするのも嫌だったのですね。

 

よく人はちょっと見ただけで、ちょっと知っただけで「かわいそう」とか言うじゃないですか。心身にハンディがある人に対して、もしくは孤児や重い病気の人に対しても、その境遇に対してなにげなく「かわいそう」だって言ってしまう。素直な言葉のようではありますが、その言葉の裏には「でも自分は元気でよかったわ」というような気持ちがまったくないとは断言できないと思います。

 

要するにその「相手の人と自分」はその「かわいそう」を口にしたとたんに対等じゃなくなってしまうんですね。

 

よく考えるとわかりますが「⚪︎⚪︎さん、かわいそう」という言葉ほど相手のエネルギーを削いで、しかもなんの役にも立たない言葉ってないよなあ、と思います。無関心よりはいくらかましな同情ではありますが…。

 

私だって言われたくないです。私も私なりのハンデはあるけど、そういうことについて、誰かに「かわいそう」とかは絶対に言われたくないと思います。私は私の持てる範囲のエネルギーと能力で、いつも最善のことをしているつもりだから、それ以上のことは無理ですから。

 

かわいそうだと言われても物事が解決するわけではありませんしね。

 

それじゃあ、どうしたらいいのかというと、相手の現状を先入観なしに見て、ありのままに受け入れて、もしも手助けを必要としていることがあれば、自然な形で、相手に負担じゃないようにサポートするとか、そういうのがベストじゃないかと思います。

 

逆に障害や病気を持った人でも、機会があれば誰かの役に立ちたいと思われるのも自然なことなので、それも自然に助けてもらうとかね。難しいようですが、日頃から見ていればわかってきます。お互いに負担にならずに、自然に助け合える関係こそが「対等」なんだと思います。

 

そういうことがみんなして自然に出来る世の中になれば、いくらかでも幸福度がアップするかもしれません。

 

 

 

普通に使っているけど、これも気をつけたい言葉

 

あ、それから、むやみやたらと「頑張れ」というのもやめようよ。ハンデがある人は日頃の生活の中で、なんとかやっていくだけでも相当のエネルギーを使って頑張っているんだから、さらにその上に「頑張れ」なんて酷なことは言いたくないですね。基本、生きているだけで十分に頑張っている人たちだと思います。

 

病気や障害者じゃなくても、日々の生活に疲れている人も多いから、できればそういう人たちにも「頑張れ」とは言いたくありませんね。「ぼちぼち行こうね~」くらいでいいじゃんね。頑張りすぎずに、でも怠け切ってしまわないというのも難しいですけど…。「ぼちぼち」でいいやんか~、と思う。無理するとみんなどこかで反動が来るし。

 

心や身体に余裕が無くなったら、他の人のことを思いやることもできなくなるから、そういう判断は大事にしたいと思います。

 

 

 

思い出してしまった言葉

 

もう何年も前ですけど、あるブログを介して言われた言葉で、実はいまだに怒っている言葉があったりします。その時は事情があって、相当な努力をしてスルーしたんですが、その時に爆発しなかっただけにいつまでも燻っているのですね。

 

その人物は私のことを「頭が不自由なイラストレーター」と言ったんですよ (-_-メ)

 

感覚的には「足が不自由」とか「眼が不自由」とか、そういうイメージだったと思うんですが。でも違うんだ。脳の問題といえば確かにそうなんですが、でもやっぱりこれは違うんだよ。その時に黙っていたから、いまだに怒ってるんですね。ここに書いてすっきりしたら昇華出来るかもしれません。

 

同じ病気の人たちに打ち明けた時には「ひどい」「よく我慢しましたね」とみなさん怒っておられましたけど、私も実は怒ってました。

 

そのブログはいまはもう跡形もなくなっているので、ブロガーの人の現在も知る由もありませんが、こうやって長年生き残って続けているものが強いんだよ。これが継続の力なんだよ。

 

…ということで、積年のお返しとして忘れてしまおうと思います。ご愁傷さま~o(^-^)o

 

 

 

 


はやく活字がまともに読めるようになりたいなあ…と思いつつ…
積ん読状態のまま待機中の本たちの「ごく一部」です。

 

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