なかなか集中力が続きません。絵を描いているとそれだけでもいっぱいいっぱいだし。
ツイッターの投稿から散文的思考をメモってみますね。早朝に書いたものが結構多いですが、あの時間帯って割と頭の中がクリアになっているという気がします。
身体は横になったままで、タブレットで書いているメモ、という感じ(^_^;)
比較しないほうが楽だよ
女性の強みはメンヘラであろうとなかろうと、いくつになっても同性の友人を作れることじゃないだろうか。別に恋人がいなくても寂しくもない。男性は基本的にこれが苦手。健常者でもね。何もなくてもなんとかなるけど意識変革が大変かなあ(-_-;) https://t.co/bDVGTV4sFW
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) June 5, 2019
ブログにしてもSNSにしても、ついつい自分と他人を比較して不幸になってしまっている人があまりにも多くて「比較しない」ことってそんなに難しいのかなあ、と思わずため息が…(-_-;) モノの充実じゃなくて日々の生活の充実がキモなのかな?内面の充実が大事ですね。
学歴にこだわる人とかね。まだ若い場合はそうなりがちですが、私らの年齢で肉親の死などを経験してしまうと、人生観なんて無理なく変化してしまいます(ーー;)
人には滲み出る「品性」っていうのはありますよね。これは一朝一夕に身につくものではなくて、目に見えない努力や積み重ねた教養や温かい思いやりや、そういうものが長い間にその人のものとなって自然と滲み出すものだと思います。
品性が高い人って直接の知り合いでなくても、離れて見ていても嫌味を感じないんですね。
そういう人になれたらいいな、と願う(^_^;)
そういうものってテレビなどを通してもわかってしまうからすごいよね。多分、自分の思考ができて、自分の意見を保つことができる人だと思います。
そして、そういう人にしか心惹かれない最近の私(^_^;) 年齢も世代その他も問わずに尊敬できる人です。
両親の死と死後の学びと
ありがとうございます。死ぬのが怖かった父をそれなりに安寧に見送るために在宅で4年の月日を要しましたが、実は結構楽しい介護の日々でした(^_^;) https://t.co/HNjntgk216
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) June 5, 2019
今までの人生で「人は魂の存在を信じると強くなれる」のと「あの世もあったほうが支えになるな」と痛感したので個人的にそれを信じることにしました。宗教とは別次元です。
でもそういうのが生きる支えにあってもいいと思っています(^_^;) これってなんだろうね?哲学とも微妙に違う感じ。
これは闘病にも役立っています。とりわけ希死念慮との駆け引きに強力な実力を発揮します。不思議です。
正しくは「闘病」じゃないですね。「共生」だから争わない。なあなあでバランスを取って、うまくやっていきたいと願います。
…いや、不思議ではないかな。自分の軸に近いところにあるからなあ。芯が揺るがないと倒れることもないです。
どこの宗教とも無関係なので、自分以外に広めようとか、そういうことは考えませんが、多くの悩める人達がそういうものを持っていると、もうちょっと楽に生きられるのになあ、とは思います。できれば各自で日々の中から気付いて根付かせていくのがいい形なのかもしれません。
私が尊敬する方が「サムシンググレートはある。単数か複数かはわからない」という言葉を遺してくださったので、それも支えになっています。心からの感謝を(^^)
生き続けるもの
両親の死後、守りが強くなったという感じはあります。例えば事故などに遭遇することから避けられるというタイプの守り。さりげなく両親が応援していてくれるのがわかります。今年はずっとそれが続いているなあ、と。生前から私が信じる通りに行きなさいと励ましてくれていた両親の守りは実は現在も続いています。
親であることはこの世での役割に過ぎないと言われたりするけど、かくも理想の親でいてくれた両親には感謝しかないですね。それを辱めないために私も両親をお手本に生きるのが多分ベストだと思います。
想念が世界を作る、というのも絵を描いているとなんとなくわかります。創作を通じて無意識で世界を構築しているからです。
死後の世界も想念で作っておくと、案外それが現実化したりするのかもしれないなあ、と。それってすごい楽しい…。でもきっとそれは途中で投げ出さず、天寿を全うしたご褒美に用意されているのかも…(^_^;)
だから私は希死念慮には負けたくありません。あの世で再び両親に再会するのを、迎えに来てくれるのを楽しみにしています(^_^;) 最近の希死念慮は割と早めに退散してくれるからありがたいです(^_^;)
人を見る眼
そういえば私は若い頃から人の容姿をどうのこうのと言う人を信用していなかった。会ったことがない人は話やメールで結構本質がわかる。
直接会う人の話は目を閉じて聴くとわかりやすい。容姿の確認は人格を好きになったあとにくるから結構どうでもいい。たまたま美男美女ならちょっと嬉しいかな?(^_^;)
うん、でもそれは絵画的なイメージモデルとして見ている気がする。美形じゃなくてもご本人が気にするほどたいした問題じゃない。私の基準では美しくない人はまずいない。
ただ本当に人格が外見に現れて近づきたくない人はいる。そういうのは言葉からもわかるので怖いですよ(-_-;)
私は人のことをそういうふうに見ているらしい。「見せる(魅せる)お仕事」の人でも例外はないよね。外見だけでは惹かれない。
我ながら厳しい判断基準かも。でもそういう世界でも品がない残念な人は少なくないからなあ…(-_-;)
ちなみに絵にも品は不可欠だと思ってもいる。内なる修行を侮るべからずという自戒。
キャラがひとまず完成。まだ持たせるものがありますが、現在製作中。
背景も含めると全然まだまだ、という感じです(^_^;)