まだ素材ができません
おはようございます。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2023年3月9日
今日は足が痛いので外出はしません。大人しくお絵描きの仕上げをして、素材を作りたいと思います。
なんと3ヶ月もかかってしまった。この頃年に4作ペースが当たり前になりつつあります。鈍いよね(TωT)
緊急速報がなって以後、肩にずしっと人生の重みみたいなものがかかってきて辛いです(;_;)
なにこれ?
マッサージ師さんが来られたのでちょうど良かったですが(^_^;)
「この間転んだ場所、やっぱり何もなかったわ。平坦な道」
「だから下から足を掴まれたんですよ」「あー、そうかもね~」この辺何がいるんだろう?病院のマイナスエネルギーはもう大丈夫だし(^^) 基本的に私はホラーが怖くない人なんだよね。
マッサージ師さんがこの間車から見たそうですが、さほど若くない女性がちょっとした坂道で転びかけて、2,3回転して起き上がったそうで、助けに行こうかと思うまもなくけろっとされていたそうです。見事な受け身だったんだなあ。ちょっと坂道が幸いだったみたいですが(^^;) 怪我もなくてよかったです(^^)
私のひざの擦過傷もかなり痒みを感じるので良くなってきています。
あ、この症状はおそらく心因性だな、と自分で気付くことが多いのですが、主治医の先生は精神科メインで心療内科も縹渺したおられるので相談しやすい。難しい場合は内科その他に行きなさいと言われるし。なんか自分でも区別する私ってベテラン患者のように思える(^^;)
心因性の症状は「原因はあれかも」と自分で気付いた瞬間に嘘のように消えたりするんですよ、マジで。
もはや自分より力の弱いものへの暴力も
— YOKO@DEMOCRACY (@granamoryoko18) 2023年3月9日
厭わなくなった社会風潮ってほんと亡国の様相だよね。。。。
先進国ではなくなった。。。
こういう現実が辛いです。
先週の伯父の葬儀で親戚一同がマスクを外したのは初七日の法要も終わって、最後の会食の時だけでした。みんなそれが自然で、だれも疑問を持たなかった。それでええと思うんよ。そしてまたマスクしてタクシーで帰って来た。訪問関係の人が来られるときはやっぱりマスク。花粉症です、って言われても。
従姉たちはマイナカード作ったと言ってたし、弟も作ってるけど、今の政権が倒れるか、カードが廃止になるか、憲法違反でなんとかなるかするまで私は作らないつもりです。納得出来るまでやらない。
伯父とサプリメント
ちょっとしたサプリマニアっぽかった伯父ですが、従姉たちは断らないと、と言ってましたが、それでも100まで生きたから何かが効いてた可能性はなきにしもあらずかな??(^^;) 種類が多過ぎてなにがよかったのかがわからないとのことでしたが(^^;)
うちはサプリまで手を出す余裕はないですね。高いもん。救心すらなかなか買えないし。効くのはすごくよくわかってるんですけどね。
伯父の場合は過去に手術した大腸ガンがいつのまにか再発転移して、それで亡くなってるんですが、うちの母の場合は乳がんの手術後、10年以上再発なしで心不全で亡くなったからガンのために死亡とは言えませんね。母の姉、伯母はまだ比較的若い時に56歳で結腸ガンで亡くなっています。寿命はそれぞれですが、ガンになりやすい家系なのかもしれません。
でも私はいまの90代はすごく頑健だと感じています。戦争と飢餓と疫病を生き残ってこれた世代は本当に丈夫さが違うなあ、と感心することが多いです。いろいろ参考になることもあると思うよ。
「エールは消えない」
こういう本読みました。
樹木希林さんと著者のお母様も含めた家族の生と死のドキュメンタリーです。
誰もが経験する肉親や親しい人との別れ。バースセラピストとして多くの人の誕生や死にかかわってきた著者にとっても、自身の母を見送ることは「心にぽっかりと穴」が空くような特別な経験でした。その、ぽっかりと空いた穴を埋めるものは何だったのでしょうか。
「大丈夫、きっと乗り越えられるよ、信じてごらん」というお母さんの言葉が、その後の著者を支えたと言います。
また、長年家族ぐるみで親しくし、その晩年に寄り添った俳優の樹木希林さんからも、同じことを言われました。
「大丈夫、私も協力するよ。そして応援する」。
間もなくこの世から旅立とうとしていることを知りながら、希林さんは強い意志で応援してくれたのです。
著者は綴ります。
「人がこの世を去ってからも、応援(エール)の思いはずっと生き残る。決して消えたりしない。まるでお守りみたいに」。
本書は、著者が見送った87歳の母のこと、最期を共に過ごした樹木希林さんのこと、自殺した娘の子どもを育てたお母さん、両親をなくし伯父伯母に引き取られた姉妹と、見守るおばあちゃん、子育て中の盲目のお母さんなど、5つの多様な家族の物語と、めぐるいのちを描いた珠玉のエッセイ集です。
巻末には、内田也哉子さんとの対談「母をおくる」も収録。
完治がない病気の宣告は再び元気な頃には戻れないという重大な意味を含んでいる。精神疾患だけではなくて、効果的な治療法が少ない病気や進行性の病気、腫瘍やALSなども明るい未来を想定しづらいようになっている。
それらの病気を自分のものとして受け入れられるかどうかがその後の充実にも治療にも深い関わりがあると思うんだけどね。難しいね…。
寛解したいと願うよりも、気がついたら寛解していた、というパターンのほうが無理がなく揺り戻しも少ないと思います。失望も少ないですし。上手く寛解に至ればラッキーという感じが気が楽では?
私のパニック障害がそうでした(^^)家族のために走っているうちに治りました。
そして知らない人が多いみたいですが、どんな病気による死でも、最期の2,3日はほんとんど眠りがちで苦痛をあまり感じていないですね。うちの両親もそうでした。ここに登場する方もすべてそうでした。静かな死。安寧の死。
私にはそれが天命を生きた人へのご褒美みたいに感じます。
そういう本です。
私って動物のみならず、ご遺体にもナチュラルに話しかける人間だったみたいです(^^;)