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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

病気はマイナス要素ではない

まだ雪が残っています。ここまで積もったのは記憶の中でも初めてかもしれません。 昨日は大人しくしていたけれど、さすがに今日は雪道を歩いて、なんとかコンビニに行ってきました。ほとんどお弁当とかはなかったけど。お煮しめがあるでなし、おせちが残っているでもなし。母のためにまたおでんを買って帰ってきました。

 

雪とお正月のせいで、看護師さんの時間もイレギュラーでして、なおかつ、尿中の浮遊物が詰まりやすいせいで、バルーンの交換に時間がかかり、終わって母にお昼を食べさせて、自分も食べるともう2時です。なんだかほとんどなにもしていないような〜 (ーー;)

 

大晦日にケアマネさんと会って、今日は看護師さんとも会って、我が家の場合は「私が母の介護をする」のではなくて、「私が母と弟の介護をしている」というくくりになっているんだなあ、と改めて思いました。その通りなんですけどね。

 

何年もお風呂にも入れない弟と違って、どうにかこうにか一部の家事と介護のおおかたと、一部の仕事が出来ている私は恵まれているのかもしれない、と思いました。しんどくない、とは絶対に言わないけどさ。しんどいし… (ーー;) 幸いにも年末以来の軽躁状態はわりと長く続いていて、このまま寛解にならないかなあ、と願ってしまうのですが…。

 

希死念慮がないだけで、生きていることがとても楽に感じます。あまりにも長く、10代の頃から、常々厭世観希死念慮(若い頃は病気だとは知らなかった)につきまとわれて、それと闘ってきただけに、それにエネルギーを費やさずにいられることは非常にありがたいです。 これはうつ病などを経験したことがない人にはわからないことかもしれません。でも穴の底にいたからこそわかることってあるんだなあ…。そういう意味ではとても貴重な体験をしたのだと思います。

 

基本的に、どうも私は双極性2型障害というやつをあんまりマイナス要素と捕らえていないふしがありますね。1型よりは穏やかな症状のせいかもしれませんが…。 でも病気のおかげで多くはないエネルギーをどこに振り向けるかよくわかるようになったし。

 

これは自分だけの解釈だからなんですが、この病気だとわかって、クリエイティブな才能があります、というお墨付きのようなものをもらえた気がしてそれはすごい嬉しかったです (^_^;) …ホントに我ながらめげない性格だよなあ…。

 

前向きに生きるための味方だと思っています。だからあえて病気のことを隠そうとは思いませんしね。わざわざ触れて回る必要性もありませんが。「私」という人間の要素のひとつだと思っています。 病気だから得るものがあった、とか、病気だからこそわかったことがあった、という気付きがあれば、もうすでにその病気には負けていないのだと思います。 これはメンタルじゃなくても、身体的な病気でも障害でも同じだと思います。それを経験したからこそ、多くのものを得た、というのは「病気になってよかったねえ」と思っていいことだと思います。

 

ここまで来たら、たとえ不治の病でも(私のだってそうですが)一生、生きている限りその病気とそれなりに仲良く付き合っていこうと想うようになります。ものすごいいい経験ですよね。紛れもなく…。 だからこの経験をさせてくれた神様(でもなんでもいいけど)に感謝です (^_^)

 

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