母のところに行ってきました。
元気にはしていましたが、今日は珍しく「ここにいて。怖い」とか言うので、ちょっと長めにいたかな…。
「なにか見えたの?」と聞いても返事がないんですが、可能性としては幻覚として怖いものが(幽霊とか?)見えたか、もしくは亡き身内の誰かが見えたのかもしれないなあ、と思ったりしています。
「まあ、お彼岸やったからね」というと頷いていたので、後者の可能性があるかなあ、と思います。俗に言う「お迎え現象」ですね。本来は死の直前に現れることが多いんですが、父の場合は数カ月前にこの体験があります。戦死した伯父が見えてたようですから…。その時の父の様子に似ています。
こういう経験、私にはわりとあって、伯母(母の義姉)がガンで2カ月弱闘病していた時に、終わりが近づくにつれて、「あそこにおばあちゃん(祖母)とてるさん(母の実姉。二人とも故人)が来たはるわ」と言っていたのも知っています。
父はあんまり喋れなかったけど「にいちゃん」と呼びました。父がそう呼ぶのはひとりだけですしね。やっぱり伯父だと思います。
お迎え現象なら、我々も覚悟を決めておく必要があるかもしれません。いまはわりと元気ですけど、まあ、歳が歳で来月で母も82歳ですから、いつなにがあってもおかしくはないのです。
母が逝くと、たちまちに我々の経済状態に痛手が来るので、そっちは深刻かもしれませんけど…。どうも自分が再度会社勤めが可能になるとはとても思えない… (ーー;) …まあ、そちらのことはあとで考えるとして。
私のイメージ的に、あの世とこの世っていうのは(「次元」というもののイメージもそうなんですが)ちょうどPhotoshopのレイヤーみたいに同じ場所で重なっているような気がします。重なっているけど、非表示になっているので、そのレイヤーはここからは普通は見えないんですよね。
死が近づくにつれて、レイヤーを移動する準備で、非表示になっている「あの世レイヤー」が時々表示されて見えるようになってくるみたいな…そんな感じがします。Photoshopのおかげでこういう概念が自然とわかりやすくなってきました。まあ、正解かどうかは死んでみないとわかりませんけど… (^_^;)
いままでの調査ですと亡き親族が迎えに来てくれて亡くなられた人は、一様に穏やかな最期を迎えられるそうですから、いいことかなあ、と思いますが…。穏やかな死を迎えることが出来た故人の家族はなんだか救われる気がしますから…。
同時にグリーフケアにもなっている感じです。
ちょうど龍の絵を持っていったので、早速壁に飾ってきました。「これお守りやし。そういうつもりで描いたから」というとちょっと安心していたようでした。
それでもなんだか寂しそうな感じだったので、今日の午後と、明日中にでも急ぎの仕事を片づけて、水曜か木曜日にまた行ってあげようかな、と思っています。
そう、仕事があるんですよね。それやらないと。
本当は別に読書に関することを書こうと思っていたんですが、母のおかげでまた別の話題になっちゃったよ。特養に泊まれたらいいのになあ…。(まだ言ってる)