お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

持病も私の一部としてそのまま肯定したい

 

半年以上久しぶりな美容院

 

えーと、昨日の今日で恐縮ですが、お休みします(^_^;) 結構真面目に続けていた感がありますし。

 

……と言いつつ明日の朝の更新までに長くなる可能性大ですが(^^;)

 

昨日は雨の中、傘をさして自転車を押して内科受診してまいりました。いや、特に変わったことはないんですが。

 

で、お昼過ぎにふと見たら雨が止んでいたので、ドラッグストアで薬もらって来ました。

 

ついでに隣の美容室をふと見たらわりと空いてたのでカットとシャンプーも。多分半年以上久し振り。自分で切ると伸びて来た時が結構ガタガタでした(^_^;) 

 

スッキリしました。次はもう来年だろうな。

 

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SNSの動画が突然だから困る(-_-;)

 

この頃、前以上に残酷なシーンとかグロテスクなものに過敏になっています。

 

単に映像的な残酷さだけでなくて、フィクションの意図が見えてしまうやつね。シーンそのものよりもそれを作ろうとした誰かの心理が駄目です。そういうのがマジダメで、本当に吐き気がします。人間を実写のゲームの駒にするな(-_-#)「これを作ったやつの人間性を疑うわ」と思うし。

 

グロいシーンでも例えば手術場面や傷の手当てとかはリアルでも大丈夫なんですね。なんか、誰かの心の方に反応している気がします。

 

もともとHSPなので、そういう反応でもおかしくはないのですが、でも内面的なものに先に反応するのはどうしようもないですね。それこそいじめの心理にいち早く気付く感じがあります。

 

酷薄なものや醜悪な心がダメみたい。前よりも相当過敏になりました。うかつに動画も見られません。SNSで予告なしで流されちゃうときついわ。

 

動画はもう動物と子供とアートと風景とハンドメイドと旅と音楽とお宅拝見くらいでいいなあ。それ以外は全部シャットアウトする機能が欲しいくらい。動画でこれだから、テレビはいっそう駄目だろうな、と思います。

 

 

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いまがみきわめのタイミング

 

 

あー、それ知ってます。町内でやってて母も行ってましたが「そろそろ販売になると思って逃げてきた」というタイミングを読むのはすごく上手かったです(^^;)

 

なんか食料品の販売とか紹介と称して、人を集めて配る。そののちに高い羽毛布団を買わせるというのもありました。

 

一度私もつきあわされたことがありますが、「タダより高いものはない」をモットーにしていたら案外わかるみたいです。

 

 

いらないものは買わない母ですが、40年くらい前にうちに来た男性から象牙の印鑑を買いました。その人は多分何処かの宗教関係者で、でも話は面白く2人で聞いてたんですが、翌日私が仕事に行ってる時に来られたらしく、帰宅したらもう印鑑買ってた。4本セット30万くらいしたらしい。

 

「まさか壺とか買うてへんよね?」

「買うてへん、そんな邪魔なもん」

「邪魔…やなあ。けど印鑑高いやん」

「ええて。一生使えるし」

 

うん、いまでも使ってます。銀行印も認印も。壺の話も聞いたけど断ったらしいです。なのでいまだにこの買い物が母の失敗だったかどうかわからないのです。

 

ちなみに当時私が読んでた雑誌「ムー」は母も読んでました(^_^;)

 

ちょっとああいう不思議な話が好きな母娘。なんか騙されにくい耐性はちょっとあったかも。でも私の方がいろいろ厳しいわ(^_^;) だからセールスに敬遠されたみたいです(^_^;) 逃げられた、という感じ。

 

今ならわかるけど、あの男性はおそらく○○教会の人ではないかと思われます。

 

うちの両親、本当にものに関心が薄い感じで、洋服以外ほとんどものを持っていませんでした。父は音楽テープくらい。

 

だから服以外に断捨離はしなくて良かったですが、なんか逆にちょっと寂しい気分になるから不思議です。

 

まあ、印鑑も形見のうちだよなあ…(^_^;)

 

 

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子供を敬称つけて呼ぶ母(^^;)

 

 

うちの母は「子供にも独立した人格がある」と言って呼び捨てには決してせず、私が幾つになっても「恭子ちゃん」呼びでした。死んでからもそうだから一発で母だとわかる(^_^;) 声もそのままだしね(*^^)

 

父は流石に大きくなってからは「恭子」でしたけども(^_^;)

 

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病気も自分と共に肯定したい

 

「介護が終わったら何もない、にならないように絵を描き続けていて」と言われたケアマネさんの言葉のように、地味に描き続けた私。この言葉はいまだに深く感謝しているのですが。

 

病気でも自分らしくそれなりに共生する事を選んだんですよね。自分の欠点や短所を愛することと同等でもあるな。それこそ自己肯定以外の何物でもないと思います。

 

病気を治すためだけが目的の人生になってしまうと、治った時に他に何もないことになるのも怖いでしょう。これは以前どこかの精神科の先生も指摘されていたことなんですが。

 

だからどういう状況でも好きなこと、好きなものとずっと最後まで一緒に生きたいと願う次第です(*^^) 創作は裏切らないから。私も承認欲求のためにやってないしね。 

 

完治がない病気とともに私は自分を肯定します(^^)

 

 

 

 

なかなか進まないけど(-_-;) 次から陰影レイヤーに入ります。

 

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やっぱり長くなったね(^^;)

 

 

 

 

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