履けないサンダルが履けるかも…
ここ数日、ほとんど横になっていたんですが、足を心臓より高くして(クッション敷いて)五苓散もきちんと3度、毎朝利尿剤もきちんと飲んで、仮に入院したとしたらこういう処置になるだろうな、というのを想像して過ごしていました。軽い足首の曲げ伸ばしなども。
そうしたら先ほど来られた作業療法士さんに「すごい、先週とは全然違いますね!」と毎回触って確かめてくださるんですが、確かに足首の違和感がかなりマシです。で、むくみがマシになると心臓も楽な感じで、今日は買い物にも行けました。
わかったー。これがむくんだ時のコツみたいなものなんだなあ、と実感。まだしばらくは続けたいと思いますが、なんとなくコツがわかったみたいで嬉しいです(^_^;)もうちょっとマシになったらサンダルも履けるようになるかも。
足の甲も相当むくんで腫れていて、それで靴が入らないことが多かったんです。座ったままでつま先をあげたり踵をあげたりの軽い運動はやっていますが。もうちょっともんでもいいのかな?(^_^;)今日は先週よりも甲の厚みがマシになっています(^_^;)ぼちぼちですね。
実はこういうサンダルを買ったんですね。安いんですが、ベルトが3本とも調節が可能なので。24.5センチだからレディースのLサイズを買いました。が、届いて履いて見ると、前方の2本はまあギリギリでもなんとか入りました、が、やはり足首がきついのです。ギリギリ止めても痛くて歩けないし。まあ、それくらいむくんでいた次第ですね。
https://www.hiraki.co.jp/ec/proList/searchProduct?categoryCd=110F1400000
だからこの足首でベルトを止めるタイプのサンダルは全滅です。それくらいむくんでいました。
作業療法士さんと2人で「なんだか希望が見えましたね(^-^)」と喜んでおります(^_^;) えへへ。
私個人の解釈なんですが、毎日の服薬で他の薬は真面目にちゃんと飲んでいるのに一つだけ飲み忘れる、それも何回も、というのは、自分にはもうその薬が必要ないということかなと思っています。そうやって自然に縁が切れると依存も離脱症状もなく、ごく自然にやめられますね。身体のサインだと思います。
ここで先生に相談すると大抵すんなりOKが出るはず。念のためにちょっとだけ、というのはあるかもしれないけど。
「人生に疲れた」人たちと共感する
うつの人に『頑張れ』と言ってはいけないとはよく言われるけど、その理由って結構誤解されているような気もする。
— プシコ代表 (@Psyco_daihyon) 2020年7月26日
『うつの人は既に頑張っているから』
というのは私的にはなんか違う。
既に頑張っているからというより、『生きることに疲れているから』という理由の方がしっくりくる。
燃え尽き症候群とも重なるところがあるのだが、精神疾患の場合『生きることに対して』燃え尽きている。これがしっくりくる。
— プシコ代表 (@Psyco_daihyon) 2020年7月26日
頑張れる人は生きることそのものには疲れていない。頑張っただけ追い風が吹くと思っているし、それを感じられる環境にあるのだろう。
止まない向い風の中歩き続けなければいけない人生を送らなければいけない人もいる。
— プシコ代表 (@Psyco_daihyon) 2020年7月26日
そんな人は歩くだけで必死のはずなのだ。足が痛くても息が苦しくても。
そんな人に無責任な声援を届けたところで、何になるというのか。
『生育環境』とは風であり天気なのだと最近思ったりする。
そのとおりですね。もう疲労感が半端じゃないから「休みたい=死にたい」になるんですが、そこまでの経験がない人にはなかなか理解されないみたいです。私の「死にたい」にはその理由しか存在しません。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月26日
普通に生きてたら人生に疲れる経験なんてしないんでしょうかね…
— プシコ代表 (@Psyco_daihyon) 2020年7月29日
それだけ苦労知らずな世界に生きられるって幸せな事だよなぁと思います。
精神的に弱いのではなく、強いからより限界に近づいちゃうというのもわかりました。損な性分かもしれませんね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月29日
「生きること自体に疲れる」のは本当で、私の場合は死にたくなる原因はそれしかありません。ポジティブな方ですし、自己肯定感も弱くないし、人生そのものを肯定するタイプです。
それでも非常に疲れることがあります。燃え尽きた時がそれですね。幸いにして私には支えになるものもあったけど、今回はそれすら自信がなかったです。
まあ、地球人を卒業する間際の卒業試験だと思って耐えるしかないと思いました。もう、こういう仮定がなければ負けそうになっていたと思う。どんなに辛い日々でも、いつか終わりがあると思えば耐えられる、みたいな。
だから苦痛が多い肉体からの解放は喜びでも楽しみでもあるのです。すごい自由への脱出ですから。難病や障害を抱えておられる方にはなんとなくご理解いただけるかもしれません。肉体の檻なんですよね。
自死がいけないことだけは知っていた
もうそれは10代の頃から知っていました。その当時「完全自殺マニュアル」を読んだんだと思います。でもこれはどの方法をとったとしても間違っている、ということは即座に理解できました。私の場合、そういう理解は直感でくるから、どうしてそう思ったのか説明不可だったんですが、でもその直感は正しいとわかっていました。
もし私が生まれつきの健康優良児であったらもっと違う人生を送っていて、死生観なども全く違っていたかもしれないです。でも身体的ハンデがあったおかげで、学歴や名誉や肩書きなどとは無関係に人の精神の本質により近いところで見ることが出来るのでそれはありがたいことだと思っています。
死んじゃったら、そういうものが無価値になるんだしね。なので執着があまりなくなりますね。
本当の人間の価値というのそこにあるんだと思う。物質や金銭とは違うところにあるんだよね。だからそういうこともわからない人は「生きたお金の使い方」も出来ないのですね。
病床の父と過ごした4年近く。やはりベッドのそばでそういう話をしましたよ。父は死ぬのが怖いけど、むやみに恐れずに、自分でも学ぼうとして当時はよく丹波哲郎さんの本を読んでいました。そういう下地もあって、常日頃から病気や死について、普通に話し合う家族でした。「病気なのに縁起でもない」というタブーが存在しない家でした。
母もそういう方面に興味を持っていて、母ともよく話したけど、母はもっと広いUFOとかUMAとかも好きでしたね。私はどうもUFOには興味が持てなかったけど、ミステリーサークルはデザイン的に興味がありました。(誰がどうしてやったのか?いたずらか?)とかには無関心だったです)
死後の話をしながら、それでも本当に最後の瞬間までどこかで奇跡は信じてました。そうでないと介護なんかやってられないです。
葬式躁病状態でおかしな言動をする弟を見たら、従姉たちもあまり関わってくれないし。母には色々貸しがあったけど、母の葬儀でそれは一段落したんだと思っています。だから私もできるだけ迷惑をかけないようにやろうと思いました。頑張るほどに孤独になるという状況ですが、それはまあ、仕方がないと思っています。
弱くないのに心が燃え尽きて病む人たちはきっと私と同様に苦労されたんだろうと思います。これが課題、これが卒業試験だと思わないと耐えられないくらいに。
頑張れとは言いません。でも死なないで、とは言いたいです。
「この子、こんなに難しい本を読んで大丈夫でしょうか?」と先生に相談しつつ、私が「考える子ども」であることをおおらかに認めてくれた両親に感謝している(^_^;)(小学生の時の話です)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月29日
以後、何を読もうと一切何も言われなくなった。
「考える子供」は必然的に孤独になるし、独自性が強いとはみ出さざるを得なくなるんですが、まあ、それは仕方がないです。