やっぱり頭とこめかみが痛いです。もっと効果がある目薬が欲しいな。前からずっとアイストレッチを使ってるんですが……(-_-;)
先日の受診で弟がラミクタールを処方されたんですが、痒いとか言いだしたな。見てもまだ発疹は出てないけど、もしかしたら出るかも……。そうしたら先生に相談してやめないといけません。ラミクタールは過去に私も発疹が出てやめた経緯があるので要注意なのです。10人に1人の割合らしいけど……。
感染力半端じゃないみたい
これって韓国の例のようですが、δ株の感染力の強さが怖いです。
「感染者に会わなくても感染」 デルタ変異の恐ろしい伝播力。
— JeongWoo (@tenichi08) 2021年8月6日
特に20代の大学生2人は咳と筋肉痛で感染確認。 動線追跡の結果、別の感染者が4分前に使ったカフェのテーブルを使ったのが原因。 甚だしくは20分間友達を待っている状況だったので飲み物も飲まず、マスクもずっと着用中だったが感染した。 pic.twitter.com/2DNVWumePM
なんかもう外に出るな、って言われてるとしか思えない。うん、お彼岸がすむまではね。
弟の免疫が強化されるのが秋の彼岸ごろなんですわ。それまではたとえ買物でもなるべく避けたほうがいいと言われた(誰に?)
冷凍のお惣菜とかで対応してするのが無難かも。同じテーブルに座っただけで感染じゃアウトだわ。お盆休みはステイホームですって。
「ワクチン接種済み」のステッカーは配達に来てくれる人たちのために玄関ドアに貼るべきでは…?
1ヶ月前くらいは感染者の中でδ株が検出されるのは1割程度だったんですが、
— 知念実希人 小説家・医師 (@MIKITO_777) 2021年8月6日
現在は9割がたδ株になっています。
もはや東京ではα株はほぼ駆逐され、伝播性も重症化する確率も格段に高いδ株に置き変わっています。
どうぞ警戒をお願いいたします。
ノーマスクの人や大声で話している人見かけたら可及的速やかに最大限の距離をとるのがおすすめです。
— カエル先生・高橋宏和 (@hirokatz) 2021年8月4日
ノーマスクの人はどこでもノーマスクですのでコロナをもらっている可能性がマスク派より高いです。ノーマスクの人から飛んでくる飛沫はリスキーです。
生存可能性を高めてください。
ついに入院調整中の方が1万を超えた。ここからが医療崩壊です。本当に。そして医療崩壊とは医療機関が静かになり(満床で患者が動けないので)、自宅で多くの患者が苦しみながらも何もできない、どこにもいけない、という状態を意味します。 pic.twitter.com/Yc61Goz9T6
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) 2021年8月6日
「今健康だから」思えることだよね、これって。10代後半から20代前半まで療養で過ごした私はワクチンがどうあれ、健康は永遠だとは限らない、とは言いたいな。オセロみたいにいつひっくり返るかはわかりませんし。予防として考えるのは大事だと思う。 https://t.co/9zHRkrsIdx
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年8月6日
結局ワクチン接種しても集団免疫の獲得がウイルスの変異のスピードに追いつかず、変異に対応したワクチンを毎年接種することになり、感染は収束せずマスク生活はいつまでも継続、子供が昔の写真を指差しながら「なんでこの人たちマスクしてないの?」と問う未来が来るかもしれない。割と冗談抜きで。
— しなもん先生 (@gastrocinnamon) 2021年8月5日
これは私もかなり可能性が高そうと思っています。インフルエンザのワクチンのごとく毎年打つのは仕方がないと思うので…。いや、すでにそれは覚悟してますね(-_-;) なんとか共存しないとどうしようもない未来もありえますし…。せめて夏場に涼しめのマスクを開発して欲しいなあ、と。
「答えは京都にある」
昨日はこの本を読みました。タイトルが興味深くて(^^;)
特に目新しい内容ではありませんが、自分がわりと当たり前だと思っていたことが京都独特のもので、それがわりとクリエイティブなものであったりとか、そういうことですね。まあ、京都ってユニークなグローバル企業も結構ありますし、ユニークな発想や発明が生まれたりしますし。
とりわけ、あ、そうか、と思ったのが京都の人と神仏の距離の近さでした。どこの町内にもお地蔵さんがあるし、神社の数もお寺の数も半端なく多いし。しかもそこが子供の遊び場になってたりしますしね。
京都御所の中ですら遊び場だもんなあ(^^;) そういう神仏とはとても近しい感覚が普通なんですが、京都以外ではそうじゃないのかな? 四神とか本当に当たり前の存在なんだけど。鬼門とか裏鬼門とかも当たり前に意識して育つし。
当然のように生まれてずっと育っていまも住んでいるから、その距離感は近づきはすれども遠ざかることはありません。こういうのも特別なんだなあ、と改めて思いました。
でもそういうのは普通に地元の世間話あるある、なんで特に深い意味はないのかも…。そういう感覚でないと「野暮やな」って思われそう(^_^;) 土地柄から派生した感覚なのかもしれません。そうか、そのへんがリアル歴史なのかもね。
で、この本のタイトルについて、問題は解決したかどうかわかりません(^^;) でもコロナが落ち着いたら気分転換に来られる人が増えてもいいなあ、と思いました(^^;)
週末は京都で過ごして、アイデアを得る人も少なくないとか。わりといい週末の過ごし方かもしれません(^^;)
気候的にはすごく住みづらい土地ですが、ここから離れたいと思ったことはないですね。海外の友人知人にも東京よりも好感度が高く受け止められているようです。
そんなわけで今日も短かめです。すみません。
なぜか柄杓持ってますけど(^_^;)