弟が不調と希死念慮を訴えているので、 今日クリニックをまた臨時受診してきます。 またタクシー予約したので、朝イチに出る予定。
弟は私と違って後ろ向きなタイプ。子供の頃に心臓の悪い母が死なないかといつも不安を感じてたらしいです。それがずっと抜けてない。でも今更言っても仕方がないと思うんだけどね…。
タクシー代が痛い。通院するにはタクシーしか手段が無く、乗車券のある市バスは走ってないし、私鉄と私鉄バスには割引もないし、タクシーにも一切割引はない。ここはそういう不便な場所。今月3回通院。往復で3000円(;_;) 色々と不公平や不平等はどうしてもあります。住むところってそうなのね。
交通が不便な田舎住まいの人は痛感されてると思います。都会の端っこでもそうなんで…。
どう考えても身体障害の人の待遇が一番恵まれてる気がします。 私らだって長距離歩けないしね。悲しくなります(TωT)身体症状きついんだよ。しんどいとか言いたくないのにしんどいんだよ。
それはそれとして。
世の中の理不尽に対して基本は寛容だけれども、寛容も過ぎると毒になることがあリますよね。相手を思って咎めるのは適切な量の薬。薬も過ぎると毒になるから。
たとえば子供が危ないことをしたら叱って危険を知らせるのは大人の愛情で義務だよね。不動明王の憤怒の表情は優しさだけでは通じない人間に対して怒りでわかりやすく示す愛情なのだと思っています。
愛があるから怒ることもある。誰だっけ?「愛の反対は無関心」と言ったのはマザーテレサ?
怒る時は多分そのへんで私は怒っています(^_^;) 感情とは微妙に違うかも。あんまり自分のためじゃなさそう。怒るべき時にはきっちり怒って、赦すのはそれから。
密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。
これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」