でも来週も受診
昨日は受診してきました。が、薬の調整があるので、来週月曜日にはまた行きます。
弟の血液検査結果。半年の断酒で肝臓の数値が「全部正常値!すばらしい!けど飲んだらあかんで!」とのことです(^_^;)
同じように断酒してるのに私の方が微妙にやや高めなのはなんでやねん(;´Д`)
それしか足がないからクリニックの通院はいつもタクシーなんだけど、ふと気がついたらやっぱり降りる時にナチュラルに「ありがとうございます(*^^)」と言ってる。
他人に助けてもらったら感謝するのが当たり前、という当たり前の話がなんでこんなにこじれるのかほんとわけがわからないw
— モトケン (@motoken_tw) 2021年4月13日
ちなみに健常者が鉄道を利用するときは、誰の助けもいらないんです。
だから、感謝する必要はないのです。
その点が、駅員が電動車椅子を運ぶ時と違います。
設備の不備ですが。
私は運転が出来ないので、出来る人にのせてもらうとやっぱり普通に感謝。他のことでもそうですね(^_^;) クリニックでも薬局でも言ってた。
マジでこれしきのことでいい年した大人がなんで揉めるのかわからない。大人は子供のいいお手本になりたいな、と思いました(^_^;)
人はひとりでは生きられないし、たくさんの依存先があって、お互いに助け合いながら生きているのが自立なんだと思うので、サポートしてもらえるのもしてあげられるのも本当にありがたいことだというのが私の素直な心境なんですよね(^_^;) だって世界はそういうふうに出来てるし…。
自分の子供を持たない私が、子供の体温や重さやもろもろのあれこれを実体験で知っているのは、小児科勤務と甥と姪の育児に関わることができたおかげだな。一緒に泣いたり笑ったり、大変に幸福な体験でした。そういう機会が持てたことに心からの感謝をしたいです(*^^)
家族関係者一同と、そういう計らいをしてくださった神様かな?運命かな? まあ、そういう感謝です。
もうすっかり大人の彼らに対して、やっぱり恥ずかしくない大人でいたい、という思いも強いです。
愛が深いと本気で叱ることだってあるよね。どうでも良い存在だったら危なくてもほっとくよね。そうじゃないから。
今は彼らを尊敬してるけど(*^^) 生まれた時から知ってるけどね。
サイト設立20年になりました
自分のサイトの更新作業の途中で、ふと気が付きました。このサイトの設立は2001年の4月17日。まもなく丸20年になります。さすがに更新ペースは落ちたけど、生活面では大変なことばかりだったけど、それでもゆるりと続いて20年。ひっそりと感無量です(^_^;)
でも継続そのものにはあまり意味がないかな?と思うこの頃です。私は野心がなくて、ここを足掛かりにして何かをやらかそうとか、そういうことを全然考えていないので、淡々と続けているだけ、というか、気がついたら続いてただけですね。
実は何も考えていないかも、と思うこともよくあります(^_^;) それでも日々の励みにはなっているから上等かもしれません(^_^;)
「なんとなく」の意味は何年もしてからわかったりするから…。
さっき見たらpixivのフォロワーさんがジャスト800名になっていました。
なんとなくめでたい数字なので思わずスクリーンショット。みなさまありがとうございます(^^)
大きな作品はサイトの方でどうぞ(^_^;)
相互理解は必須です
最も納得したできるご意見。私もこういうことを言いたかったと思います。だからあの方法はまずいと言ってたわけですね。
今日は嫌でも買い物に行かないと…。なんだかあんまりぼーっとする暇がないような気がします(ーー;)
↓これ結構そのとおりかも、と思いました。
個人的には魔除けみたいな効果も感じています。悪意を遠ざけます。
うちの両親は「うちは財産も何もないから教育くらいしかあげられない(ただし経済的に高校までね)」と言ってたけど、今にして思うと、この「素直に感謝できる心と環境」が両親からもらった最高の財産かもしれませんね。だってイコール幸福感が半端ないです(^_^;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年4月13日
あとは型に嵌めない育て方と自由とね。尊重してくれたので。大変ありがたかったといまになると身に沁みてわかります(^^)
両親がお世話になったケアマネさんに「恭子さんは来るもの拒まず去るもの追わずですね」というご指摘をいただいたんですが、でもお世話になった方のことは何年経っても心の底でずっと気にしている。お元気ならいいな、と。表に出さずとも容易く忘れるものではないです。それが人情で。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年4月13日
執着とはちょっと違うけど、リアルタイムで伝えられなかった感謝は宝物みたいになって、別の人への行動になるとかね。日本ではこの「恩送り(ペイ・フォワード)」がなかなか浸透しないのが不思議です。先に損得を考えるから?見返りがすぐに直接になくてもいい、と思えたら簡単なことなんだけどね。
本当に真意とかはすごく時間が経ってから思い当たることも多いですね。最近そういうことがすごく多くて、子供の頃のあの体験にそういう意味があったのか、と気付くなんて、本当に何十年単位の気付きです(^^)
詳しくないからよくわかりませんが、ちょっと仏教的なものは感じたりします。悟りとまではいきませんが、…やっぱり「気付き」なのかな?という感じですね(^_^;)
「生きていること」自体が多くの人と世界と自然の「おかげさま」なんだな。ブログのタイトルもなんとなく変えたけどやっぱりそういう意味があったみたいです(^_^;)