本当は昨日も休むつもりでした。でも書きたいことが長くなったので、休むのをやめたの(^^;)
お絵描きも佳境に入ってきたので、ちょっとそっちに集中したいのもありまして。
なのでお休みです(^^;)
お絵描きしながら大滝詠一さんを聴いていた。 いいなあ(^^) ロンバケから40年も経ったの? いつのまに?ついこのあいだみたいに感じるのに。
「ありがとう」が苦手で言えない人が結構いるというのは私にはちょっとしたカルチャーショックかも。 ああいうのは慣れですよ(^^) いつも言ってると本当に抵抗なく出て来ます。
おかげで家族関係も極めて平和でしたし。誰も喧嘩しなかった我が家。夫婦も親子もきょうだいもね(^_^;)
想像してみて。ちっちゃい子がね。じーっと顔を見て、自分が大事に持ってるお菓子とかおもちゃとかを「あい、どーじょ(^^)」ってくれたとするやん?思わず「ありがとう(^^)」って言うてしまうやん?それですよ。
相手がおっちゃんでもおばちゃんでもちっちゃい子やと想像したらええんです(^_^;)……という無茶振り(^^;)
子供相手だと素直になれますよね。背伸びすることも小さくなることもないし。そんな感じかな?
相手と上下関係があるとかないとか、そういうことを考えてしまうと素直に言えなくなりますよね。本当はお互いさまなのに。すぐにお返し出来ないご好意はまたいつか別の誰かにお返し出来ればいい。恩送りというやつです。
いま、弟に頼まれてマイナンバーカード用の写真をタブレットで数十枚試し撮り。背中が痛くなった。なんとかなったようで「ありがとう」と言われたけど、自分のカードは金輪際作る気がない(-_-;)どうせ役所までいかないと出来ない手続きばっかりだし(-_-;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年4月11日
↑障害者の味方になるというのならこれを何とかして欲しい(-_-;)
障害者も健常者もお互いに対等な人間同士でいたいから、誰かに親切にしてもらったら「ありがとう」って普通にお礼を言うんです。健常者同士でも障害者同士でも同じことよ。なんで「同じ」だって思えないんだろうな?不思議。
健常者の手を借りたからって卑屈になる必要はまったくないです。持ちつ持たれつお互いさまだから。見えないところまでちゃんと想像するとそういう真理がわかります。
何かをお願いするたびに「ありがとう」を言うのが惨めだとか、そんなこともないですよ。私、寝たきりになった両親のことはすごく愛おしく感じたし、残念なことに母の時にはひとりでやる限界を感じたけれども。
最期が近くなった時に、唯一動く右手で介護士さんの頭をなでてて感謝の気持を伝えたと何人もから聞いたとき、とても母らしいと嬉しかったし誇らしく思いました(^^)
今でも変わらず尊敬する両親です。
できないことがいっぱいあっても、自分に出来る範囲のことをそれなりに楽しんでやる、というのが障害者の自立なんだなあ、きっと。 負担じゃなくてさ、できる事は自分でやりたいし。「心まで障害者にならないで」というのはそういうことだと思う。
私も最後までそうあれたらいいな、と思います(*^^)
…なんだかブログのタイトルそのままだな(^_^;)
「下書き供養」というお題を見たんですが、実はこれ1本もなかった(^^;)
全部記事にしているか、気に入らないものはさっくり消しちゃっているかどちらかですよね。メールの下書きや投稿した記事の下書きは残ってるけど、投稿しなかった記事の下書きは皆無……。たぶん、価値がないと自分で判断したんじゃないかなあ……。ほんとになかった。不思議だ(-_-;)