あ、灌仏会ですね。ふと思い出した。
昨日、訪問看護師さんにはかって
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年4月7日
もらったら体温36.8℃。
微熱の季節は始まりつつあります。
ワクチン接種は早めの方がいいと思うな。
37℃でインフルエンザの予防接種受けた
ことはあるけど(-_-;)←当然問題なし
自律神経の熱は37.5℃までならありえます。
当然しんどいです(-_-;)
今年は微熱まで早いです(-_-;)
想像してみても
さすがにリクライニング車椅子を電車に載せて移動させようとか言う人はいないよね?…っていうか、そういうものが存在することも知らない人いるよね。医療介護関係者とその家族以外は。
↓これ
まああれで移動するのは寝たきりの人ですが。障害者なのは確か。エレベーターがないと施設内でも移動不可。
あれ押して病院内を検査のためにウロウロしたことがあります。暇な人に手伝って欲しかったけど、病院内に暇な人はいなかった。病人にお願いするのは無理ですし…(-_-;)
そもそも車輪がついた車椅子は固定が可能な介護タクシーを利用するしかないです。民間でもドライバーはほぼ介護の資格をお持ちです。
特養の相談員さんやスタッフさんはあの介護用のワゴン車を独りで操作して運転して病院まで連れて行ってくださるので、私は尊敬のまなざしになりました(^^;) すごいです。母の時はそんな感じ。
父の時は退院(入院は大抵救急搬送ですし)の時と胃ろうの交換の時とですね。ストレッチャーつきの介護タクシーにお願いしたので、ストレッチャーのままで胃ろうの交換が可能でした。終わるまで待ってて家まで送ってくださいました。介護関係のことは本当に数えきれない多くの方にお世話になっています。影に日なたに、本当にどうもありがとうございました(^^)
おなじみストレッチャー。
感謝は自然と出てくるもの
障害者が公共の交通機関を使うのにいちいち感謝を感謝を強要されなくていい、という声がありました。感謝を強要というのがそもそも違います。「感謝の気持ち」は心が動いて自然と言葉になって湧き出るものだし。
私、バスでもタクシーでも降りる時には普通に「ありがとうございました(^^)」って言うけど。電車の改札でも人が少なければね。べつに障害者でなかった時から。
だってお互いに気持ちいいから。言いたくない人は別に言わなくてもいいけど、お礼を言ったからって減るもんじゃなし、心の潤滑剤やん、と思うけどね(^^;)
自治会のやりとりもコロナの影響でポスト経由でのやりとりがほとんどなので、ふせんやメモやお手紙が活躍してます。
「一言添える」というので、お互いに気持ちがほっとするし、楽になることって結構あるのよ。そういう手間は惜しみたくない人間です(^^;) きれいなふせん仕入れときたいな(^^)
べつにお金もかかりません。でも言葉だけで伝えられるものがあって、相手が人間だから気持ちが伝わって動かすことがあるんです。経験からね。うちの両親もごく自然に言ってたし。私も自然にそうなった。
インフラだから必要ない、という声もあったけど、私は自分が言いたいから自分の意志で言うのだ。私はそれなりに感謝しているから言っても当然なのだよ。遠回りがあってもせちがらい世の中をスムーズに回す心遣いになると思っています。
水道が使えるのも電気が使えるのも、ネットが使えるのもインフラだけど、使えない時にその有り難みがわかるし。決して当たり前だと思わないです。使えなくなった時には懸命に修復作業をしてくださっている方々の存在があるわけだし。だから感謝したってええやんか。
非常にまずいやり方だと思う
だから障害者の権利を要求するとしても、お互いに嫌な気持ちにならない方向から交渉するのがベストかと思います。
昨日、一昨日取り上げていた伊是名さんのやり方は「あー、それはまずいわ(-_-;)」と思っていたら今回のことは作為的にわざとやったとご本人が告白してらして、ちょっとみんなあぜんとした感じです。他の障害者のためにも役立ってないよね(-_-;) むしろ迷惑。 リンクしないけど、You Tubeの方に動画があると思います。
あの方、障害者としてはわりと恵まれた環境にいらっしゃると思うんですが。
北風と太陽の太陽みたいな方法を取って欲しかったと思います。非常に残念(-_-;) バリアフリータクシーだって予約にひと月もかからないです。緊急なら当日でも見つかったりするしね。
記事を読み、悲しくなりました。私の父も車椅子での生活をしており、車椅子での生活をしてる人がみんな伊是名さんと同じ考えだという目で見られたくないです。父は、何か手助けをしてもらったときには何度も何度もありがとうを言う人です。旅行に行くのは百歩譲ったとしても、(続く)
— yuyuyutbe (@yuyuyutbe) 2021年4月4日
私たちは事前調べを怠らず、介助出来ないなら、諦めてきました。介助してもらうのは当たり前ではありません。感謝の気持ちを持てないと世の中は終わります。初めに対応した人にも問題があったのかもしれませんが、あまりにも感謝が伝わらない記事でしたのでコメントさせていただきました。(続く)
— yuyuyutbe (@yuyuyutbe) 2021年4月4日
不幸中の幸いは、コメント欄を見てると同じ考えの方が多かった事です。この記事を見た方が、一度 車椅子について考える機会になっただけでも良かったと思います。感謝の気持ちを忘れず、過ごしてください。
— yuyuyutbe (@yuyuyutbe) 2021年4月4日
#伊是名夏子さん のJRへの過大要求がトレンドになっているけれど…
— 飯野由布(田口ゆう)@あいである広場編集長 (@Thepowerofdive1) 2021年4月6日
過去に車椅子ユーザーの方が書いてくれたこの記事を思い出したのでシェア。
社会や健常者との分断を産むやりかたは違う。
「健常者との闘い」にもう意味はない。「勝ち取る」から「一緒に創り出す」未来へ https://t.co/IP82rZkDG9
まったく同じ気持ちです。
サービスの受給者が「サポートを受けて当然」、提供者が「できればサポートをしてあげたい」と思っても、経済合理性や現場のマンパワーでは難しい。こうした事例が今後、縮小する社会の中で頻発するでしょう。するとまず、社会的弱者である高齢者や子ども、妊婦、障害者の方などが直撃を受ける(続)
— Hashimoto (@r_hashimoto) 2021年4月7日
わたしもまた現場の末端で働いていて思うのです。「社会保障の理想は素晴らしい、自分も弱者になった時にそのお世話になれれば有り難い」と。しかし、そんな甘っちょろい幻想は、コロナ禍でぶっ壊れた現場を見ていると嫌というほど打ち砕かれます。弱者になれば、転げ落ちるしかない、「自助」のみと。
— Hashimoto (@r_hashimoto) 2021年4月7日
弱者がこうした政治的手段に訴えても、今後マジョリティの支持はますます得られないでしょう。むしろ多くの反発を呼びます。経済合理性や新自由主義との妥協や、それを乗り越える新たな戦略が必要です。リベラルなメディアや政党がそれを提示できるか、だと思います(終)
— Hashimoto (@r_hashimoto) 2021年4月7日
こういう見方もあるのはあると思うしね。
私も出来る限りのことは自力でなんとかしたい思いがありまして。制度を知るのも守るための武器だとか、そういうのも基本はきっと同じです。
まあ、私なんか人間味を感じたら、未来のタクシーが無人運転になってもやっぱり降りる時に「ありがとう。次も気いつけてな(^^;)」とか言いそうな気がしますが(^^;) (二代目のiMacまで名前をつけていた人間です(^^;))
私、大抵のことは自分でやってしまうので、
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年4月7日
実は困っていてもあんまり困っているように見えない。
それがいいことか悪いことかちょっと悩む。
しんどいけど無理矢理頑張ってしまうことが多いです(-_-;) なるべく人の手を煩わせたくないと思って…。
昨日はこれだけしか進みませんでした。八稜鏡。たぶん背景に使います。