完璧な宗教なんか求めていないし存在しない
残念なことですが、既成の宗教にはどうしても限界があって、すべての人を救済してくれるわけではないので、どの宗教にも深く関与したくないのが私の信条です。でもいいと思うことは自分なりに取り入れる。無宗教だけど信仰のようなものはある。これって日本人にしか理解されないかも…(-_-;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月24日
私は大正時代から檀家をやってたお寺を失望してやめた人なので、宗教に対して求めるものが厳しいかもしれない。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月24日
私は宗教に完璧を求めていないし、既存の宗教も新興的な宗教もやはり完全ではないので、特定のものに執着も帰依もできません。
ただ、たまにお坊さんに相談するのは、東日本大震災をきっかけに死者の供養よりも生者の苦悩に先にあたるべきではないかという活動をされている方々だからですね。
まあ、ですから仏教というよりも、個人的に答えてくださる方が多いです。まあ、それでもいいんですが。仏教やキリスト教はこういう問いかけが可能ですが、神道の神様はそうじゃないよなあ。やり取りができる人も多くないよなあ、と思います。「感じろや」という空気が結構ありそうな気がする(^_^;)
すいません。ちょっと別キャラが出ているのか、ここ2、3日やや言葉が乱暴になっております(ーー;)
あ、ちなみにそこは「hasunoha」というサイトです。
うっかり相談を読んじゃうと頭にくることも少なくないので私はあまり読まないようにしています。まあ、相談者によってそれぞれ深刻なものがあるのでしょうし…。
過去の自分に尋ねてみる
時間があれば横になり、横になれば寝てしまうパターンがやはり続いています。どれだけ寝れば疲労が取れるんだろう??
ふと2年前、母が亡くなった時の記事を見ていたら。やっぱり現在と大差ないことを嘆いております(ーー;)
ちょうど2年前の今日だわ。やっぱりバーンアウトだと言っている。
それでも立ち直れたんだから、今回もきっと立ち直れるよね??自分に問いかける。
これを見たら九月にはぼちぼちお絵描きを始めてるな。だとしたら、夏が過ぎれば復活しやすいタイミングがくるかもしれない。やっぱり自分のパターンが一番あてに出来そうです(^_^;)
こうやって過去の自分にまた励まされるんだよね〜(^_^;) 書いておいてよかったなあ。
お絵描きに戻るまではあれこれとグッズを作ったりしています。まあ、これも私のパターンかもしれません。
母の憑依の時期を共に過ごした記憶は宝物
そういえば母の死後の話で、ここいら辺に書いてたと思いますが、どうも母の魂が私に憑依していたと思われるふしがありました。普段そんなにフルーツを食べない私が、やたらフルーツ(柑橘系)を食べたくなって、毎日のように買って食べていたことがありました。
その数日でもう私は気づいていて、ああ、母だなあ、と思っていました。母も結局は胃ろうになったので、最後は好きなフルーツを食べられなくて、すごく欲しいと思ってたんだと思います。私らがあまり食べないから、みかんでも箱で買って手が黄色くなるまで1人で食べてましたから。。
この季節、冬みかんじゃなくて大きめの柑橘類でしたけど。夏みかんとか伊予柑とか。
私ももう好きなだけ食べていいよ、と思ってました(^_^;) まあ、私の身体でも貸してあげようと。で、美味しかったです。
亡くなって日にちがあまり経たない頃は家の中に気配が濃厚に漂っています。ああ、いまそこにいるなあ、とわかる。
父もそうでしたが、あの「49日」って不思議なんですけど、どうもあの49日あたりが区切りみたいですね。柑橘食べたい、という私の要求も無くなって、あれだけ濃かった気配も消えました。
ああ、母も満足して逝っちゃったんだなあ、と痛感しました。肉体の死別より、実はこちらの別離の方がこたえました。反面、無事に逝ってくれたなあ、と安堵もしたんですが。
こういうことって他の人にもあるのかなあ?と検索して見たら、いくつかの事例を見つけました。肉親の魂が憑依したとしか考えられないような嗜好や行動の変化ってあるんですねー。面白いです。
死者と家族が名残惜しいことを思い残したことを叶えることで表現して、それが充たされることで魂の別れが準備できるみたいな感じ。
あらゆる宗教を超越したこの感じが私にはとてもしっくりします。なんたって自分が体験したから(^_^;) 実感してしまうと不思議でなくなることが不思議(^_^;) 私の過敏さはこういう時のためにあるのかも、としか思えません(^_^;)
今でも美味しそうな柑橘見つけたらお供えしていますが、あんまり来ないね、最近。たまにお茶は飲んでるみたい。湯飲みにそういうあとが残ってるから。
見えないけど大事なこと
私は本当に「見えない人」なので、普通の人よりも過敏な体質で、全身と五感で感じるものが一番正直だと思っています。霊感というよりも直感の延長みたいな感じですね。
上手く説明出来ないけど「直感」というのは自分のそれまでの全部の経験や学んだことやもしかしたら無意識にもアクセスしてスパコンよりも速く脳が判断するようなシステムらしい。だから間違わない。
私はよく直感で判断する。後でじっくり裏付けを取ってもやはり直感は間違わないです。訓練でより冴えるものだし。
「なんとなく…」は凄く大事。
そして私の場合は絵のイメージも天から降りてくる感じが強いです。だからやっぱりその時を待たないとダメみたいです。
人の魂が蝶の形になる、というのも本当でした(^-^) 両親ともに確認しています。
2年前のブログを見ていたら、母が亡くなって私はやはり燃え尽きていた。同じ6月の末。でも9月にはお絵描きを始めていた。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月29日
大丈夫、私。また戻れるから、と過去の自分に励まされている。今まで幾度あったかわからないけど、私のレジリエンスは強くなる。絶望の寸前で過去の自分に励まされて。