つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

気力のエネルギーが切れました

 

よくいままでもったなあ、と自分で思う (^_^;)

 

 

昨日ね、母の最後の年金が降りたんですね。

特養の最後の支払いの分だけ残して、私の通帳に移してきましたが…。

 

つい、振り返ってしまって、先月25日の夕方に朝行った特養から「病院へ検査に付き添ってあげてください」という電話がかかってから…。

 

それから病院に行くまもなく28日の深夜に亡くなって、この日は睡眠1時間で自宅に帰る手配をして。

 

簡略なお通夜と葬儀が30と31日で、そのあいだに弟はおかしな行動するし。

 

それでもなんとか喪主として果たせたなあ、と思えば諸手続待ったなしだし。
そのへんはもう責任感だけで動けていた感じでした。だれもやってくれませんしね。

 

で、昨日のお金の関係のラストで、私もう無意識のうちに気を抜いた感があります。
そういうつもりじゃなかったけど、この3週間やりきった、と自分でも思います。

 

健康な人でも結構ダメージがある場合もあるけど、少ないエネルギーでよくやれたなあ、と自分でも思います。

 

 

おかげで気力が15%くらしか残ってなくて、あんまり物事が考えられなくて右から左に抜けていく感もあります。困ったものです (ーー;)

 

まあ、脳がそういう反動を引き起こしていると思えば仕方がないですが。頑張った反動なのよね〜。

 

どうすれば気力が充電出来るかわかりませんが、ただ休んでいるだけでいいのかな?
仕事のこととかも考えたいけど、あまり余裕がなくて、私の場合はちゃんと「絵が描ける状態」でないと駄目だなあ、と思っています。

 

 

 

私が檀那寺をやめた理由

 

無宗教ですが、仏事として計算すると四十九日は7月15日になります。

 

そのへんまではここいらをうろうろしているという通説がありますが、(でも母はさっさと悟ってしまった気がするな。あんまり心残りなさそうだわ)そのへんで祭壇を片付けてお仏壇のほうに移してあげないとね。

 

無宗教だからこれでもずいぶんましです。

 

30数年昔のことですが、祖母が亡くなった時、枕経とお通夜と告別式の計3回。うちに来てもらうのに、「タクシーで送り迎えしてください」とか言われて。子供じゃあるまいし、いい大人が自分で来てくれたらええやろー、と思った。ちゃんとタクシー代払うんだし。

 

その当時はまだ弟がパニック障害になってなかったから、3度とも送り迎えしてくれましたが…。家族は忙しいのになんやねん?と心の中では思ってました。

 

狭い家だからご近所さんが控えの部屋を貸してくださいましたが…。なんだか偉そうだなあ、という感じでまったくありがたみがなくて(私はやっぱりこういうのはすぐに察するから)不満が残ったという。

 

そのお寺も「足腰を痛めた高齢者が多いので、洋式トイレを作ってください」とか「新聞は班長が発送するから切手代をください」とか母が提案してやっと実現したお寺でした (ーー;)

 

母よりも効率と内実にうるさい私がさっさとお寺をやめたのは無理ないと思いませんか?

 

裁判沙汰になるまで後継者争いとかやってるから、ますますありがたくもなんともなく俗っぽくて駄目だわ、と呆れた。

 

聖職者である必要はないけど、現世に生きている人間の悩みをもっと親身になって考えて欲しいといつも思ってました。それが本道ではないかと。

 

死者の供養よりも大事なことがあるだろう?といつも思ってた。生者の苦悩に寄り添って欲しいと思ってました。それだけ。

 

 

 

 

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