うち独自のメニュー??
低気圧なのに身体が重くて、ずっと頭痛が消えないのはうっとおしいですね。
なんか…じわじわと虚無感みたいなものに
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月8日
支配されてきた。
虚しい…。どうしよう??
そしてまた頭痛。
脳味噌のバグ? pic.twitter.com/UX6DOiNU4z
徐々に胃の容量が小さくなってて、以前ほどは食べられない。まあ、痩せるのはありがたいです。無理やりやってるストレス無いし (^_^;) あんまりものが美味しくないのもある。
アイスクリームとゼリーとか元々好きなものは美味しいけど、自分が作っても買ってもあんまり美味しくないです。ちょっと食欲ダウン傾向??
Amazon primeで「孤独のグルメ」をぼーっと見ていて、うち独自の組み合わせとかあったなあ、と振り返る。ブリの照り焼きのお皿には茹でたほうれん草が載ってまして。うちは湯豆腐にもほうれん草が入ってました。
肉じゃがには生で切ったきゅうりを醤油マヨで食べるという定番。うちだけかも(^_^;) なんか定番でした。
ハンバーグも母独自の作り方があって、食中毒予防のためにひき肉をまず炒めます。それからパン粉じゃなくて水に浸しておいた食パンをちぎって混ぜる。それを焼くから火が通り過ぎてミンチが割とカリカリ的な。あれも母独自のものですね。
弟が食べたいと言ってるから近いうちに作ろうかとは思いますが。
ハンバーグのお皿にも付け合せはレタスときゅうり。
ああ、出てこいやる気。「うちから食中毒を出さない」というのが母の主義で、昔は車を引いて売りに来るお豆腐まで火を通して冷まして冷奴にしてました。今のようにパック売りじゃなくてお鍋持って買いに行くやつです。お豆腐屋さんのラッパの音がふと懐かしくなります。
まだ元気は出ない
作業療法士さんに「元気がでない」と愚痴ったら「あれだけ、だーっと頑張って走ってきたんだから、しばらくゆっくりでいいんですよ」と言われました。ちょっと救われます。
弟の件は私が先に一人で受診してこようかとも思っています。先生、厳しく言わないでやってください、と頼まないと (^_^;)
「でもねー。先生には厳しく叱って欲しい患者さんもいるんですよ」そうなの?患者さんもいろいろだなあ。Mっぽい人もいるんだ(^_^;) 気合が入るのかなあ?(^_^;)
まあ、私はもともと叱られるようなことをしないんですが。
弟も昨夜はコンビニに行った気配なし。お酒やめてくれるといいなあ。寝不足が溜まってきたらいやでも眠れるのでは??
「なにものでもない私」は素敵だと感じる
なんかさ、還暦過ぎて、いろんな占いの意味するところに無意識のうちに即して生きてきて、いま現在「なにものでもない自分」というのにすごい解放感みたいなものを感じてます(^^)
だって別になんにもならなくても、世間の成功とか無関係でも人は当たり前に生きられるのよ。すごくないですか?(^_^;)
私なんか器用貧乏だから大成しないです(^_^;)
よほどの功績があって歴史に名前を残すぐらいの人じゃなくて、ほとんどの人はささやかに無名のままに生涯を終えるけど、実は社会の基盤を作っているのはそういう普通の人たちなんだからそれでいいじゃん。
虚無=とらわれない事=解放感、でもあるんだな。自分の選択に従ってここまで来た結果。いろんなことをわかってても知ってても「なにものでもない」のって素敵だ(^^)
カテゴライズされない自由かも。便宜上初対面の人に「奥さん」「お母さん」と呼ばれても知人には名前で呼ばれるし。
それこそ医院の窓口で患者さんは名前で呼ぶじゃないですか。知ってるから。高齢の患者さんも「おじいちゃん」「おばあちゃん」じゃなくて名前で呼ぶのが礼儀。介護施設でもそうだと思う。「○○さんの奥さん」とか「○社の部長さん」とかの属性じゃなくて個人の尊重。
そういうお付き合いが基本で当たり前の世界が好きだな(^^) 属性にこだわると不自由だからね。だから「なにものでもない」ことがすごくいいです。名刺には一応出来る仕事は書いてるけどあまり渡す機会もないし。基本やはり今現在はなにものでもないなあ(^_^;)
ただね、こういうのは非常に情けないと思ってしまう。
『人助けランキング、日本は世界最下位』
— Seisu_Ken (@Seisu_Ken) 2020年7月8日
役所が助けを必要としているホームレスを追い出し、それに賛同する人々が少なからずいるこんな国、他にあまりないよな。
政治が何のためにあるか、世界で一番忘れてしまった民族、日本人。
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なにものでもなくても、何も持たなくても価値ある存在だと思っていないってことですよね。これはできるだけ変えていきたいですね。
避難の件はまだ課題が多いです
昨日、作業療法士さんと特養、千寿園の話で、助けられなかった人があるのは、ずっと心に残るよね、と言っていた。誰が悪いわけでもないが無力さが辛いだろうと思う。母がいた特養はエレベーターはあったけど三階だったし、一階で火事があれば困るだろうなと思った。夜のスタッフも人数が少ない。
他府県の特養で働いていた姪が夜は二人で70人を看ていたと言っていた。だから誰も責めないで欲しい。本当に運命だとしか言えない。それでも多くの人を救った介護士さんたち、ありがとう。内情を知るほどに感謝しかない。亡くなられた方々もそのへんはわかってくださると思う。ご冥福をお祈りします。
ただ、建物自体をもっと安全な場所に建てられなかったのは残念です。
うちのあたりのハザードマップを見ていると、最大の洪水の設定が3mとあります。3階までは来ないかもしれないが、でも避難所指定の学校の校舎の方がもっとずっと低いんですよ。団地は10階まで避難できるけど、学校は3階。いいのかなあ?危ないよね。洪水の時は。思わずいろんなことを考えてしまいます。
誰かが理不尽な扱いを受けていたら、感情的にならずにきちんと抗議するのはすごくまっとうな行為だよね。黙って見逃すのはいじめを放置するのと同じに思える。私はそういう同調圧力は苦手です。一人でも抗議はする。あ、だからいつも闘う人と言われるのか(^_^;)でも弱虫よりはずっといいな(^^)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月8日
これは正義感とかじゃなくて、むしろ「困っている人をほっとくのが嫌」という心境からの行動に近いです。困っている人がいなければいいんだけど、現実に困っている人がいるからさ…(ーー;)