懐かしいコピーだな… (^_^;)
この「モノより思い出」というのはなんだっけ?と思って調べたら、日産セレナのCMだったようです。うん、車のCMなのは覚えてた。私がまだテレビを観ていた時代だから、かなり昔のことでしょうね。
いや、この話題は先日かこさんが遺品のことで悩んでらしたところから来ています。
そういえば最近は形見分けというのもあんまりないよね、と思ったのですね。不動産とかの相続は別にして、もうかなり以前からそういう風習がなくなってきていたと思います。どうかすると遺骨だって散骨にする時代だもんね (^_^;)
現代はものが溢れていて、みんなしていかに断捨離するか?と悩んでいるので、故人の持ち物の始末などもそちらの価値観にシフトしてますね。
うちも父の死から9年経ちましたが、今、家に残っているのはブレザー2着と業務日誌と写真くらいです。あとは処分しました。
父はもともと多くのものを持ちませんでしたし。カセットテープなどは母が毎日仏壇の前でお経のかわりにかけていたので、ちょっと飽きたというか…。
あ、でも私が好きなプレスリーの曲貼っとこう (^_^;) 父の好みとは微妙にズレそうだけど、まあ大目に見てください (^_^;)
新品で使えるものは使っていただけると嬉しい
母の場合は特養でお世話になっている3年の間にかなりのものを処分して、肌着などはカットしてウエスとして掃除に使って捨てていたらもうほとんどなくなりました。
母の服も私が縫ったものがタンスに2、3着残るくらいだし。着物は和ダンスごと処分したし。我ながら潔い処分の仕方だと思います。
特養には衣類一式残して処分をお願いしてきましたが、一度も袖を通していない普段着(母はずっとパジャマで過していたので)とか、もしも着てくださる方がいらしたら、とてもありがたいと願っています。
産業廃棄物としての処分と聞いたけど、費用についての連絡がないので、タンスを含めてどなたかの役に立っていればありがたいです (^_^)
母の写真はもちろん残っていますが、私が再構成した写真以外に孫たちにもわざわざ送ったものもありません。
ものはものだけど、それよりも大切なのは共に過ごした時間の記憶だと思っています。これはいつまでも褪せない大事なものですね。
私が死ねばその記憶も霧散するけど、孫たちは子供の頃に祖父母と過ごした記憶を覚えていてくれると思います。時間が経てばいずれも消えるものだけど、私はそれでいいと思ってますし。大したものなど残す必要はないのよ。むしろ負の遺産は減らす方がいいと思う。
まさに「ものより思い出」なんだなあ。今現在の共有の思い出を命あるように生きて残してほしいと思う。同じ時を共有した値打ちというのはそれに尽きると私は思っています。
行動力が必要ですが
「ものより思い出」を実行していたのは母で、孫たちが小学生の頃「沖縄行こう。この子ら飛行機に乗せたりたい」と言いました。「それならうちの両親も山梨から呼んで一緒でもいい?」と義妹。「ええよ」。
弟はパニックが不安で一人で待つのは嫌らしく、父が残ってくれることになりましたが、でも本当は父も行きたかったと思うのです。
私はパニックでも行くんです。飛行機乗りたいから(^_^;) 私も貴重な思い出を作りたかったし(これにはなぜか予感のようなものがあって、のちに弟夫婦の離婚に基づく子供たちとの離別になるんですが…)
結果として二泊三日の短い旅だったけど、バスで移動中に雨が降り、降りると上がるお天気の中で楽しい旅でした。沖縄の春ってそういう天候なのかな? でも本当に心に残る旅でした。「お金を使っても悔いがない」と母が言っていたなあ。
のちに甥っ子はすっかり沖縄好きになったらしく、大人になってからもちょくちょく遊びに行っているようです。なんでわかるかというと母の葬儀のお供えに「ちんすこう」があったから(^_^;) 母も連れて行った甲斐があったと喜んでいると思います(^_^)
モノはいらない。一緒に旅行とかお祭りとか遊びとかコンサートとか、そういうもろもろの記憶が次世代への贈り物になるんだと思います。私もしっかり便乗して思い出作りできたしねo(^-^)o
その時は二度と帰りません。あの「モノより思い出」というコピーは本質を捉えていたなあ、と思います。
お絵描きはいまここ。陰影が入りました。
二枚目の古代鏡のデザイン。まだ修正する可能性もあります。
このあいだの新作、特養の母の部屋で使っていたA2のフレームがあったので入れました。
ドールケースの前に置いたので、紫外線除けと一石二鳥かな (^_^;)