動悸がする日はなんとなくしんどい
朝から寝てました。
今朝も早朝覚醒に近くて、動悸がして頭の中で脈打っているのがわかると、なかなか眠れない(ーー;) 頭の中に心臓があるような感じ、わかります??やっぱり全身がしんどいですね。
夏が終わってホッとしても、まだ季節の変わり目で自律神経もガタガタな感じです。
でも30分でもうたた寝するとちょっとましな気分になります。今日はちゃんとお昼ご飯も作りました。
アビリンピックの主催事務局に問い合わせたところ、WindowsでIllstratorとPhotoshop使用とのことで、まあ、なんとかなるかも、と思ったので申し込んでみようと思います。応募が多ければ抽選かなにかになるのかな?と思います。
「素材の持ち込みは出来ますか?」と聞くとダメだと言われました。でもIllstratorとPhotoshopならその場ですぐに作れるからいいかな、と… (^_^;) 地模様とかパターンとかロゴとか地図とかもろもろ…。ポスターの原稿を作るので、どうしても必要な素材は提供されるらしい。同じものをどう使うか?っていう課題なんだろうか?
私、Macオンリーで二十数年使ってて、Windowsは設計事務所にいた1年弱しか使ったことがないんですね。98くらいの時。 …まあ、でもそんなに大差ないかな? とにかくやれたらやってみたいです (^_^;) 2月といってもすぐに来そうで怖いですが… (^_^;)
胃ろうあっての尊厳死だった
この胃ろうについての主観的なこと、一度ちゃんと書きたいと思っていました。両親ともに胃ろうにはお世話になっていますから…。(父は過去形、母は現在進行形)
父の場合
父が脳梗塞で倒れたのが2006年の1月でした。左半身不随。
脳梗塞ってね、脳の機能が時間を追って死んでいくのがわかるんですよ。初めは結構喋っていた父ですが、時間経過と共に話せなくなって、リハビリも最初の頃はベッドの横で立ったりしていたんです。それも徐々に出来なくなって、何度か痙攣発作が起きるたびに悪くなっていきました。
最初から嚥下機能に障害があったんだと思います。それでもなんとか食べられそうなものを走り回って捜して口に入れていたんですが、我々が知らないうちに、父は呑み込めないものをベッドの下に捨てていたんですね。気付いてびっくり。
5月に再入院した時に担当の先生に胃ろうのことを相談されました。手術のことや、日頃の扱いなど、いろいろメリットもデメリットもお聞きして検討して、退院までに胃ろうの造設をお願いすることになりました。
で、家に帰ってからは「あんたの方が確かやから」と母に言われて、胃ろうの扱いは私の仕事になります。投薬も食事も。父はツインラインを一日3度もらっていました。
父は「良くなりたい。死にたくない」という気力があったので、投薬や食事にも協力的でした。おなかも空いてたみたいだしね (^_^;) せわしないご飯の世話でしたけどね。母も終わった時に、はずして片付けることはしてくれました。
でも何度か意図しないで外れて大洪水になって、パジャマもシーツも全取り換えの大惨事になったことも… (^_^;) いまではいい思い出。むしろよくあんなしんどいことが出来たなあ、と思います。
胃ろうの交換の時にはストレッチャー付きの介護タクシー(大型)で往復してました。
先生の許可をもらってビールをちょびっとあげたら、胃壁からの吸収が良くて、目が回るくらいに酔っぱらってしまったことも…。あわてて水分を入れて体外にアルコールを出すようにしましたが…。あれもいい思い出だなあ。
私は在宅介護のあいだに、存分に父とスキンシップ&心の交流が出来て幸せでした。父自身は少しずつ時間をかけて、自分の病気を受け入れて、死の予感も受け入れていった気がします。
父の闘病は3年10ヶ月で終わりましたが、最後の時まで家長として、家族の一員として何事も相談されたり見守ったりで、平穏な気持ちでいられる時間が長かったのだと思います。
最期、本当に身体が食物を受け付けなくなるまで、胃ろうには助けられました。家族もおそらくは父自身も悔いのない生涯を送れたんじゃないかと思います。あの時迷わずによかったと思っています。まったく後悔しない介護が全う出来ました。
胃ろうを使う選択も含めて、それも受け入れられなくなるまでが父の天命だと私は思っています。非常に安らかな死に顔を見てそれを確信した次第です。
母の場合
母が倒れたのは2013年の10月でした。
ベンゾジアゼピン系の薬の多量摂取(自殺とかではありません)で、癲癇発作を起こして倒れました。
その入院中に尿閉の状態になり、以後はずっとバルーンカテーテルを使っています。でもこれも感染症になりやすいから大変ですが…。
退院後はまたまた母の在宅介護になったわけですが、気分に大変ムラがあって、食欲にもムラがあるんですよね。お昼ご飯には細かく刻んだ食事なども頼んでいましたが、これもあまり食べてくれず…。
父の場合は栄養がちゃんと入っていたので、あまりひどい褥瘡も出来ませんでした。寝たきりになって、栄養状態が悪くなるとたちまち褥瘡が出来ます。母はこのケースでした。
やがて私一人では在宅介護には限界がある(私も病人ですし)し、随分悩みましたが、ケアマネさんにお願いして、特養の申し込み種類を書いていただきました。
半年くらい待ったのかな?家族の事情を考慮してもらえるので、わりと早めの入所になりました。それが2015年の4月です。在宅介護は1年半ですが、ネズミが出たり、私が交通事故に遇ったり、母が心不全で入院したり、本当に大変でしたけど…。
入所しても、リフレックスを飲んでいても、母の食欲はムラがあって、これもいろいろ工夫したんですがダメで、とうとう秋には右足に出来ていた褥瘡がひどく、そのままでは感染症を起こして死ぬ危険性が高いと言われ、右足をひざ下から切断することになります。これも説得が大変だったけど、介護職の姪の一言メールが一番効果があったという… (^_^;)
無事に切断手術は済みましたが、やはり母の食欲はムラがひどく、体重も落ちてくる。特養のケアマネさんから「もしも胃ろうにされるなら、その体力があるうちに」と言われ、母にも聞くと「うん」と言ったんで胃ろうになりました。今年の2月のことですね。8月に初めて交換しましたが。
その後はやはり安定した栄養が入るので、体重も安定し、褥瘡も改善し、母の気分も安定したようにも思えます。
少年隊聴こうか、SMAP聴こうか、なんて以前にはなかったことですし…。「穏やか」という形容がぴったりの母の毎日です。
これはこれで、すごくいいことかもしれない、と思います。
1月に胃ろうを拒否していたら、きっといまごろもう母はいなかったと思います。それを思うとね。一緒に少年隊で踊ろう、とか、そういうのは永遠に出来なかった。そして私はずっと後悔から立ち直れなかったと思います。
家のあれこれについて、相談したり…じゃなくて、報告したりするとか、そういうなんでもないようなことがまったく叶わぬことのままになっていたと思います。何も出来なくてもいてくれるだけで尊いのですね。そういう日々があるのが大変にありがたいことだと思っています。
これが平穏でなくてなんだろうか?と思います。
胃ろうをしていても、内臓の働きが受け付けなくなったらその時は天命尽きる時。私はそう思っています。
私自身は…
ただし、自分の場合はそうやって支えてくれたりする家族もいませんし、そういう宝物のような時間を持てることもありませんので、胃ろうは不要です。そんな交流はないからね。もとより長生きしたいとも思っていませんし…。覚悟はしているつもりです。
そして願いたいのは、こういうことが杓子定規で決められることなく、それぞれの家族や本人の状況に応じて個々に決定できることであって欲しいということですね。家族の事情もご本人の気持ちも本当にみんな違うと思うから、一概に言えないことは多々ありますが…。
なにかというと尊厳死だとか平穏死だとか言われる傾向にあるなかで、こういうケースもあるんだというのを知っていただきたく書き留めた次第です。尊厳死も平穏死も言葉は綺麗だけど、ちょっと素直に受け入れ難いものがありますね。