つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

人生の伴侶が人である必要はないと気付いた

 

最期まで介護には参加していたつもりです


お絵描きに集中して、完成した達成感を味わうのはいいのですが、翌日以降はやっぱりその反動が出てきます。しんどい… (*-д-)-з 昨日はご飯は作りましたし、買い物にも行きましたが、それ以外はなにもする気がしなくてごろごろしていました。やり遂げた反動かもしれません。

 

母の特養に週に一度行っていた時は、もうちょっと「出掛ける」ことに対する「慣れ」みたいなものがありました。慣性みたいなものかなあ。ただ顔を見に行くだけでも、「出掛ける」気分にはなりましたけど…。

 

↓こういうこともあったしさ。特養に預けたからって、介護に参加しないのは気が済まなかったので、本当に邪魔にならないようにこっそりお手伝いしてました (^_^;)

 

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(狂四郎さんはもと介護士、現ケアマネさんです。お会いしたことはないけど、仕事ぶりが素晴らしい方です)

 

あれも習慣でしたね〜 (^_^;)

 

 

 

 

身近で健康的なもの


ところで、いつも忘れていて、寝る前に思い出して慌ててやっているラジオ体操ですが、郵便で届いたかんぽのペーパーに効果について書かれていたので調べてみました。

 

このへんかな。

 

news.affigelist.net

 

hellotomorrowbymyknowledge.com

 

時々ふらつくので、第一しか出来ませんけど、それでも背中が伸びるのが気持ちいいです。

 

効果にはそれほど期待はしていません。ただ、PCの前で立つだけでいつでもいいのがベストなんだなあ。一人でウォーキングしてもつまらんし。「背中伸ばし〜o(^-^)o」という感じでゆるくやっています。それでも何年も続くとそれなりにいいのかもしれない。

 

 

昔、ダンベル体操というのがありました。いまでもあるか。

 

selfbox.jp

 

片手に2キロのダンベルを持って、結構何年もやりました。腕の筋肉つきました。でもうつになったので出来なくなって、やがて父の在宅介護に突入したので、ついた筋肉は役に立ちましたけど、場所がなくて再開不能になりました。

 

ラジオ体操でよろけてるんじゃ駄目だなあ… (*-д-)-з

 

 

 

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人生の伴侶とギフトかもしれない

 

昨日のブログで、お絵描きについて書いたこと、あれってまるでプロポーズみたいだなあ、とちょっと自分で思いました (^_^;)


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いろいろと絵に救われている実感が強い。

継続だけでいえばやっぱりこれが才能なんだろうか?

成功するとかしないとかお金になるとかならないとかはもう全然どうでもいい。

死ぬまでそばにあって欲しい。ただ描き続けたい。

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べつに人生の伴侶が必ずしも人間である必要はないなあ、と思いました。

 

まさに「病める時も 健やかなる時も」ですし、生まれた時から死ぬまでずっとそばにいてくれるものがあるのはなんて幸せなんだろう、と思いました。

 

お絵描きと本と、数人の心からの友人と、ですね。それがあれば充分かもしれません。さらにお酒があればベストですが、そこまでは欲張りかな。

 

私が特に生きている人間の伴侶を欲しいと思わないのは、こういう理由があるからかもしれないなあ、と。

 

まあ、比較することがおかしいですが、でも私から見るとあんまり変わらないというか、ほとんど同じように見えますが。

 

伴侶が生き甲斐でもあるかなあ。こんな贅沢なものはないよねえ。神さまからのギフトのようにも思えます。

 

私ってすごいギフトをもらってるなあ…。

 

 

 

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