「頭痛〜る」の効用??
昨日は雨のせいで終日頭痛が治らず、鎮痛剤も効果がなくて。顔が何度ものぼせてしまう状況でした。自律神経にきてますね。
「頭痛〜る」というアプリがあるんですが、気圧の上下を知らせて頭痛に注意を教えてくれるんですが、気圧が下がると前もってわかっても、相手が自然やお天気だと逃れようがないんで、一度入れたけどやめました。
気象病だからね。鎮痛剤はつねに持ち歩いてるし。お天気相手だと仕方がない、と諦める役には立つかも… (^_^;)
実はまだちょっと頭痛が残っています。でも薬を飲んでもきっと無駄だわ(;´Д`)
気付いてしまった
ふと、これって私の病気や物事に対する受容の仕方の基本だな、と思う。
目の前の事実を受け入れるのは早いです。一旦受け入れて、それから具体的な対策を考える。自分で出来る範囲であれこれやってみて、万策尽きてどうしようもないことは天に任せます。
昔から「人事を尽くさないと天命が動かない」と思っていて、困ったことがあると、とにかく目の前の課題を懸命に片付ける。願いに直結するものは特に真剣に行動します。
そうこうしているうちに道が開けることも多いですし。じっとしていては駄目なことも多いしね。
天命(てんめい)とは、天から与えられた命令のことである。
天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。命数。
現在では「天命」は大きく分けて2つの意味で用いられている。ひとつは《天から与えられた使命》という意味で、これは《天あるいは天帝の命令》ということである。
もうひとつは、人間の力ではいかんともしがたい《運命》や《宿命》を意味し、天から与えられた宿命ないしは寿命を意味する。天命の原義は前者の《天の命令》の意味であったが、それが転じて《運命》の意味を持つようになったという。
天命尽きるまで
寿命に対する感覚もそう。どんなに重病や大事故でも九死に一生を得る人はまだ天命があるということ。
幼くして亡くなる子やどれだけ手厚い医療を受けても残念ながら亡くなられるケースはやはり天命が尽きるのだろうとは思います。人間の行動や努力だけではどうしようもないことがあるのですね。
魂の声に従って生きるのは非常に孤独なことだけど、反面、どこか底の方で宇宙の叡智みたいなものとつながっている感じはある。そういうものが自分軸の基礎にもなっているし、あらゆる物事に既視感を持つ理由かもしれないです。
ここ数年そういう傾向が顕著で、以前から知っていたことをひとつひとつ思い出しているような感じがします。
人生経験を積んで、やっと届く領域があるみたいです。自分の核になっている部分は変わらないのですが。
でも私と全く同じ感覚を持つ人には出会えてないけどね。
あえて言えば両親は私ととても近い感覚や価値観を持つ人たちでした。一番近かったかな。だからあの両親のもとに生まれて来たのかな、と思います。肉体と遺伝子の家族、なおかつ魂の家族、みたいな感じ。
意識を過去に遡るとどんどん未来に跳ぶ不思議。今現在が未来を築いている最中だからかもしれないですね。
起きながら瞑想しているみたいな感じ (^_^;) いや、深い眠りの中で理解していることなのかもしれませんが。
…すみません。頭痛の話からちょっとスピリチュアルっぽい内容になりました(-_-;)
でも私の中にはしごくリアルな思考と無理なく並行して存在してます。その両方のバランスを取ることも自分の課題だと思っています。
人生の課題はクリアすべし、と思ってるから。課題をクリアすることや、やはり人生そのものが学びの機会という気がします。やり遂げる喜びもあるのよね。そういう実感があるこのごろです。
誤解せずに読んでください。私の患者さん(おおむね重症)たちは、「震災で死んでしまいたかった」「コロナウイルスに感染したいくらい」と言う人が多いのです。それだけ自己肯定感が低く、人生を享受していないということです。だからウイルス対策しなくてよいという話ではもちろんありません。
— 水島広子 (@MizushimaHiroko) 2020年3月4日
自己肯定感が強く、それなりに満足していても、生きていること自体に疲れてはいるので、そういう気持ちは結構理解できます。まあ、人間いろいろあるよね、でいいんじゃないかな。私がいないと困る人のために生きてると思えばいいし(^_^;)それなりに真剣に生きてると思う。
前の家に住んでた時は大地震で倒壊すれば家と心中する覚悟でした。だから家具の固定以外何も対策していなかったし。でもここに引っ越したら地震でも生き残りそうなのでそれなりの対策が必要かと思えるし。人間ってそう言うふうに柔軟性がある生物だと思っています。何処かに覚悟もあるしね。
良く生きる=良く死ぬ、は結局同じことだと思う。そのへんを掘り下げてしまわずにはいられないのがINFJが哲学者タイプたるゆえんで(^_^;) 自己分析も他者分析もほとんど趣味というかと普通の思考の一部です(^_^;)
私はマイナスになる体験は反芻しない。一通り振り返って反省点と改善点を確認して離す。人間は忘れっぽいからやがて忘れる。逆に嬉しいこと良かったことは何度でも反芻する。何年か経つと記憶そのものがほんのりした幸福感になっている。消極的ポジティブ効果?(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年3月3日