昨日は京都市長選
なにやら全国規模で注目を浴びていた今日市長選挙、昨日投票してきました。投票所は初めての小学校。裏門から出てみようかと思ったけど、はっきりした場所がわからず諦めました。
選挙はね、どうせ100点取れる候補者なんかいないから、なにをどこまで妥協出来るか?ですね (ーー;)
初めて団地を南北縦断してみた。広いね、ここ。
なにもかも新しい場所の発掘みたいな感じですね (^_^;) 結構楽しいです。
小学校はたまたまこのごろ通い出した内科の近くでした。でも前の投票所に比べて人が少ないと思ったのは気のせいかそういう時間帯だったんでしょうか? (^_^;) このへんの団地だけでも人口3万近いと聞いたのに。
本への期待が高すぎて失敗したこと
2回続けて失敗したこと。ネットで買った本のレベルを読み間違えた。よく知ってることしか書いていない (ーー;) フィクションなら別の楽しみ方があるけど、入門書みたいなのはね (ーー;) 立ち読みで確認出来たら買わなかったなあ。
ここの「街の本屋さん」は1軒しかなくて、しかも遠い。なかなか大変。
読書家と普段読まない人とではレビューの視点も違うしな…。私は知らなかったけど、著者はテレビに出てる人らしいです。マルチタレントさんではあっても、要するにある分野では素人さんだよね。でも初めて話を聞く人には新鮮な情報かもしれません。そのへんを読み違えたの(-_-;)
専門家ではないとおう、その情報をあてにするべきでした。完璧に失敗です。反省 (ーー;)
専門家ではあっても掘り下げが足りない場合もあって、そういう時は同じジャンルの同テーマの本とどうしても比較してしまいます。そうるすると物足りなさを感じたりして…。
もう一冊がそういう感じでした。まあそれは資料としてのクラウドファンディグなので、仕方がないんですが。これも創作なら感じない物足りなさだと思います。読者は欲張りだよね。すみません (^_^;)
私は自分でも本を作るので、費用とかそういうのが大体わかってしまうので、もうちょっとページ数があっても、とかそういうふうに思ってしまうので…。自分の画集であれくらいの価格なら3倍くらいの増ページになるだろうな、とか余計なことを考えてしまうのでした。
体調のいい時に街の本屋さんにも行ってみたいな。
深い眠りの中でも脳は働いているのかもしれない
60年あまり生きてみて、気がつけばあらゆる占いが自分の答え合わせみたいになっていて、これまでの読書歴や経験や思考やあらゆることが潜在意識レベルでのデータベースになっていることがわかった。
理解が深くて広範囲になることなど「わからなかったことがわかる」意義だけでもいままで生きてきて良かったと思います。
こういう理解は経験が伴わないと無理なんじゃないかな。生きているからこそ届くこと。本物の叡智に届くと自分の死期すら冷静にわかるものらしい。
でもなんとなくそういう視点は理解できそうです。現実に1人一人の生に感謝と敬意を持って対応出来たらいいな。
看取りの最期はずっと手を握るのが最良と思われます。「ありがとう」と伝えるのがやはり最良ではないかと。
思い残しがないのか、うちの両親はまったく夢に出て来てくれません。私の眠りが深すぎて夢もみないんですが、全く夢を見ないから潜在意識にアクセスできてないのかと思いきや、潜在意識はせっせとデータベースを構築してたようです。深い眠りの底でも勝手に (^_^;)
夢という型式を経なくても、瞑想を経なくてもいきなりショートカットで答えが返ってくる感じ。まあ、それが直感なんですが、そういうのがあってもいいのかな?と思います。頑張って生きてきたことへのご褒美のようにも感じたりして。
そういえば昔から私は「森の中の巨木の根元に座って、子供や動物が周りで仲良く遊んでる。時々村人が相談に訪れる、白い長い髭の老賢者」みたいな憧れがずっとあったな。
紫堂恭子さんのファンタジーに出てくるような老人、というとわかるでしょうか? (^_^;)
おじいさんになるのは無理だけど、でもひとつの理想ではありますね(^_^;) 言うのはタダだしね(^_^;)
女性でそういう憧れを抱く人はあんまりいないと思うけど(^_^;)
いくつになっても毎日が発見です。家一軒分の断捨離にはこういう効果があったようです。物と一緒に頭の中も断捨離と整理が出来たみたい(^_^;)