今日はちょっと暗い内容かもしれないです。すみません(>_<)
人は古代から苦悩してきたみたいだ
「肉体は魂の牢獄」だと言ったのはプラトンだったかな?
この実感は肉体的な苦痛を多く味わってきた人にはより身にしみてわかる気がします。病気とか障害とか思うようにならない肉体を抱えていると「牢獄」の意味が理解できます。
私などはもしかすると、そもそもあんまり生まれてきたくなかったかもしれない、と時々思うことがあります。なんかなあ…人生の青写真を決めるのがとても早かったりするので…。どこかでずっとそういうことを感じていたのかもしれません。
基本的に生きていることは苦痛の方が多いです。たまに喜びもありますが、基本は苦痛ですね。まあ仏教でもそう言ってるけどね。虚無感と厭世観。
これも一種の燃えつき症候群かなあ?
両親は好きですよ。父の臨終の時には(母は間に合いませんでしたが)「生んでくれてありがとう」と言ったらしいし、覚えてないけど、そういう言葉が出たのは自然な気持ちだったんだと思います。
でも今は結構虚無的になっています。いや、後悔はしてないけどさ。
なんか毎日、楽しいことを捜して見つけて、それに少しでも心を動かされないと生きてるのが辛いです。あんまりマイナスなことに引きずられたくない感じもあります。かなり強引にプラス面を見つけて自分を引き止めておく必要がある感じです。
虚無感というのはあれかなあ…。一番絶望に近い感じ?呑まれてしまうと自分どころか世界の存在意義までわからなくなるし。そういう方向を見てしまうと、やばいなあ、という感覚がずっとあって。
だから少しでも明るいものや楽しいものを見つけてそちらに力をもらっておく。長年のつきあいで、そのやり方が自分にはもっとも楽だと学習したのかもしれませんね。
今生も棄権はしないつもりですし、いつものマラソンのたとえなら39キロ地点くらいだし、頑張って完走はしたいし、人助けもしたいですが、そういうことも全部自分を肉体に引き止めておく手段かなあ、と思います。
生きてるのが辛い、と思ってしまうと、引き止めておくのに、半端じゃないエネルギーを消費しますから…。
まあ、日々に大体余裕がない感じかなあ…。
気分を数学化してある (^_^;) 数学苦手だけど見ているとわかる気がする。
おなじ病気の患者さんでも経緯も過去も症状も対処法も千差万別だからなあ…。それを忘れてはいけない、と自戒のために。私のパターンも無限のパターンのひとつにすぎません。
眠りは死に近い感じがする
私はいつも眠りが異様なほど深くて、夢も見なかったりするのですが、子供の時ならきっとそれが怖かったと思うんですよね。死を連想させて…。でもいまはそうじゃなくて、安らぎなんです。そのまま朝に目が覚めなくてもいいと思うくらいに。
肉体が牢獄なら、死は魂の解放だよな、としか思えないのが私の現状です。
父なんか、最期の時は次に眼を閉じると戻ってこれないと自覚していて、24時間ずっと眼を閉じなかったもんなー。その前に眠った時に、一度あちらに行きかけてるんです。バイタルだけ見たらもう駄目なレベルまで。
…でもずっとくっついていたら、一度戻ってきちゃったし (^_^;) 眠りというより意識消失ですかね。
介護をすると人生の終わりが容易に見えて理解出来てしまうのも虚しさの一端かもしれません。
あ、すみません。これ別に遺書とかじゃないですから。考えたことをつらつらメモするとこうなる一例です。
いまはたぶんうつです。きっと軽躁の時期だとまた違うと思います。ジェットコースター並みの気分の変化に翻弄される双極性障害患者の宿命かと… (ーー;) いつも自己と闘っている。
気分を安定に近づけるのにもっともエネルギーを要する仕組みのようです。それだけで疲れ果てる感があります。
こういう時期、かなり本を読みますが、まだピンとくるものが見つかっていません。みつかるというのも淡い期待ですが。でもなにもしないよりはましかと思うし。
突然に…
…この原稿を書いていて、途中でいきなり需要がありそうなアイデアがひらめく。
Twitterで介護関係者の人たちとやりとりしていると現場のニーズが見えてきて、「こういうのがあればいいのに」と思うけど売ってない。…ないものは作ればいい、とすぐに思ってしまうのが難儀なところです (^_^;)
そしてそういう目標のようなアイデアが閃く時はすごく楽しい。
きっと必要としている人が多いと思うけど、それを形にするにはクラウドファンディングかな?いろいろ大変だな。
アイデアは次々に思いつくけど、それを実現させる行動力というか気力が足りないのは本当に悔しいです (ーー;)