少しずつ上向きになってきたかも
昨年末から今年の初めにかけて、相続登記がスムーズだったので、このままうまくいくのでは?と思っていた転居のこと、ほぼ1年がかりの仕事になっただけ、とっても大変だった印象があります。片付けに始まって片付けに終わるんだとは思いますが…。
自分の体調が悪い夏の間は本当にもうダメかも、と何度も思いました。でも諦めなかったのは、夏場の不調は毎年のことなので、やがてまたマシになることがわかっていたからですね。
私の体調とリンクするように、物事がうまくいかない時期が結構長く続きました。あちこち相談に行ったりしながら、もうダメだわ、動けない、と思ったこともありました。
私は夏生まれですが、夏場は自律神経の作用で体温が上昇し、これは解熱剤も聞かず、少し汗をかいたくらいでは下がらず、要するに身体の外と中との両方の熱に影響されて余計に辛いわけです。
でも冬場は両方で発熱することもなく、体温も普通の人の平熱なみ(36.5度くらい)になるので、かなり楽だと感じます。だから夏場には動く予定は入れたくないんですね。
相似形になっている
そういうもろもろの煮詰まった状態が誕生日が近くなって改善しました。きっかけはたまたまなんですが、ある方に「家族が豊に暮らし、お互いが争わず、長生きできるよう導いてくれるご利益があり、一族の繁栄を祈る人に力を貸してくれる」という霊符を書いていただいて、それを両親の写真の下に貼りまして、「Macのデスクトップに貼ってもいいですか?」とお聞きして、許可をいただいたので、それも実行しました。背景は実りの田んぼです。
その頃から、徐々に物事が動き出しました。私は自分で動いてできる範囲のことをやっているんですが、あとはどうしようもないところにいい運勢を借りたいなあ、と思いまして…(^_^;) まあ、一種の験担ぎですね(^_^;)(ココナラでお願いしたら500円で、さらにクーポンがあったからもっと安価でした(^_^;))
双極性障害が寓意的な病だと思うのは「好調不調には普通に波がある」ことを脳と身体で教えてくれることですね。
体調だけじゃなくて、人生そのものにも当たり前に好不調の波があって、不調の時は無理矢理に動かないほうがいいことが多い、と示してくれていることです。焦らずともやがてまた好調の波は戻ってきますし。
不調の時にも落ち込みすぎず、好調な時にも調子に乗りすぎず、と言われているような気がします。海の波が寄せては返すのを見ていると、気持ちが落ち着くのは、それが極めて当たり前のことだからじゃないかなあ…(^_^;) なんかそういうことが体験を通じて嫌でもわかってきます(^_^;)
なんとなく達観的になってくるよね(^_^;)
霊符の効果もかなりのプラス暗示と落ち着く作用ね(^_^;)
プラスの自己暗示
あと、私は自分がパニック障害の症状に負けないように「病院だから何があっても大丈夫」と思うようにしましたが、実際に病院だからと安心していたのもあって、実際に発作を起こしてお世話になったことって30年間で一度もないんですよねー。あ、救急車を呼んだこともないです。
父か母の付き添いで救急車に乗っている時に、無線でパニック障害の患者さんからの要請が入ってきて、横から小声で「大丈夫だよ、死なないよ、落ち着いて」と励ましてたことがあったのを思い出した。当然、聴こえてませんが…。なんか場数を踏むとこうなるのかと自分で驚いた(^_^;)#パニック障害
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) October 6, 2019
私は結構プラスの自己暗示が効きやすいみたいです(^_^;)
基本には医療関係のお仕事をされている方々のことを信頼しているのではないかと思います。これも子供の頃からの経験から来ていると思います。「なにかあってもなんとかなる」と思えるのは意味があると思います。
こういうのって一流のアスリートがやっている気がします。羽生さんなども滑る前に合掌して胸の前で「士」の字を書いてるもんねー(^_^;) ああいう動作で集中しながら「大丈夫、うまくいく」と心の中で暗示をかけてるんだろうな、といつも思っています。
どちらの足から靴を履くか?とかどちらの足から踏み出すか?とか、勝負下着があるとか、そういう風な験担ぎをしている人も多いと思います。自分の力を信用して出しきるために必要な儀式的集中と暗示。私はスポーツマンじゃないけど、それはわかるんだ。
普通の人が日常の中で、うまくプラス暗示をかけるのは難しいかもしれませんが、私はパニックのおかげで自分でそれを実験することが出来ました。転んでもただでは起きない性格です(^_^;)
病気から学べることはとても大きくて、病気の波=気分の波=人生の好不調の波、どれも当たり前にあるんだから、というちょっとした達観のようなものになりますね。
だから今の自分にできる範囲で、といつも考えています。
「大丈夫。あんたならできる」といつも根拠のない励ましをくれた母の言葉がありがたい。亡くなってもなお強力に力になってくれているから…(^_^;)