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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

親からの遺伝を思い知る時

 

微熱の季節がやってきた

 

気温が急上昇しまして、それにつられて体温も急上昇。この時期の反応は何度経験してもついていけなないと感じます。

 

少しだけエアコンを入れて余計に体調を崩した方もおられるそうなので、くれぐれもお気をつけくださいね (^_^;) 相手が「自然」なだけに対応が難しいです (ーー;)

 

 

いまにして思えば、うちの母も若いころから自律神経失調症の症状を訴えていました。
本人に言わせると、家を空け渡して欲しい、ということに始まる入一連のごたごたがストレスになって発症したそうですが。それが30代の半ばくらいですね。

 

いまの家に引っ越してからです。私が学校から帰ると、なんとも言えない暗い表情で座り込んでいたのを覚えています。自律神経だけじゃなくて、あれはうつも入ってたんだろうな、といまなら思います。

 

弟が小学校低学年の頃、大阪万博がありました。私は学校から行きましたが、弟は母に連れて行って欲しいと泣いて頼みましたが、いまならそれがいかにしんどい頼みだったか、というのも理解出来ます。

 

私も似たようなことがあって、中学校の夏休みの自由研究に嵯峨野に行こうということで、友人を誘いました。母もついてくる、と言いました。が、まだ半分も行かない京都駅前で体調不良を訴えて、途中で帰ったことがありました。

 

私と友人は二人で嵯峨野まで行きましたが、どこに行っても拝観料が必要で、でもそんなお金を持っていないから外から写真だけとって、記事は適当にでっち上げました。(いや、当時平家物語に凝ってたからまるきり出鱈目でもなかったです)

 

その後、自分もパニック障害にもなりましたし、当時の母のしんどさも想像がつきますが…。内科の先生に「精神病院に行くか、出家するしかない」と言われたくらいなので…。

 

 

 

当時の母も辛かったと思う

 


父も意外に神経質なタイプでしたし、私も弟も両親から受け継いでいますね。自律神経の不安定さは両親から。双極性障害はおそらく母からだと思います。

 

遺伝というのは不思議なもので、悪いことばかり目立つんですよね。きっといいところも受け継いでいると思うのに。「パパに似たら歯が丈夫だったのに」「ママに似たら眼が悪くならなかったのに」とか…。まあ、本当にささやかなことなんですけど… (^_^;)


まあ、我々は「病人の子供」という立場と「当事者」の立場をともども知ってしまったわけです。どちらにしても決して楽ではないと思ったから、自分の遺伝子を残さないと決めたのは自分でも英断だったと思います。辛い思いをする子供を増やしたくないからさ。

 

母なんか人当たり良く、人付き合いも上手く、典型的な循環気質だと思いますが、そういうタイプはやっぱり双極性障害になりやすいらしいですね。

 

私とは性格違うからいまいちあてにはなりませんが…。

 

ちなみに父も定年退職後の嘱託勤務で慣れない開発の仕事のストレスで胃潰瘍になりまして、それって結局仮面うつ病だったそうです。まあ、本当にいろいろあったねえ…。

 

私はもともと一人好きで、一人で平気な方だから子供に執着はありません。甥と姪は可愛いけど、そばで育って私と弟の影響を受けなくてよかったと思っています。

 

 


それと自己肯定感とは別なのさ

 


でも、それでも私は自分は嫌いじゃありません。自分を否定したり卑下したりする必要はまったく感じないし、人に恥じる生き方はしてこなかったと思っています。

 

けれども、病気や体質的なことで、他のだれかに同じ思いはさせたくないんですね。それは断固として。

 

自分限りのものだと割り切って、なんとかだらだらと病気や体質とつきあっていければそれでいいや、と思います (^_^;)

 

 

 

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