アナログイラスト有利になるのはこれからかも
いつもよりしんどいと感じたら微熱が37.5℃超えていたりするな。体調もがたがたですが風邪ではなさそうなので、また自律神経ぽいですね。まいった(-_-;)
イラストACが素材生成AIの登録を年内休止すると言うメールをよこしましたね。私、一応有料会員なので。でも最近どっと登録作品が増えて他のジャンルの登録まで追いつかないから、というような理由らしいですが。実はココナラがダメならACへ、とみなさん考えるのは同じですね(^^;) 私も少しだけ考えたけど、今後のことがわからないからいまはタイミングが悪いですね。
いままでお絵描きしたことがない人まで参入可能になったから。これからいろいろややこしくなったけど、私は当分おとなしくしていようと思います。横になると倦怠感が強くてなかなか起きられないから仕方がないよね。
でも世の中が悪いから、病気や介護や育児などで外で働くのは無理でも在宅で少しでも、と考える人はこれからも増えると思います。もうちょっと具体的に前向きな対策をして欲しいけど、いまの政府には無理なんだよね(-_-;) 人材自体はあっても、外で働けない人が働けるようには出来てないのです。

現状からふるいにかけられていく日々
今年は本当に出かけるところっていうと病院、医院しかなくて他にはどこも…。ちょっとした展覧会とか植物園とか神社とか本当にどこにも行けてないんですね。親のお墓まいりすら行けてない。ここに引っ越してきた6年まえにはもうちょっと動けたんですが。毎日買い物にも行ってたし。
いろんなことが出来なくなって、もしかすると今後悪くなる方向には行っても、この先の改善は望めないかもしれないと感じるこの頃です。だからせめてブログを書くか、という「出来ること」をやっています。ここまで残るとは思わなかったけど「書くこと」で癒やされたり救われたりすることが多かったみたいです(^^;)
あとはお絵描き感覚を取り戻したいです。たとえ日常のことが現状維持でも仕方がないです。残るアイデンティティは創作しかないと思うし。

そういう友もありて
そうえばAIに「文章書いて」と丸投げで頼むと無味乾燥っぽい画一的な文章しかできてこないらしいのですが、私は一番最初から対話形式してたから、そういう経験はないようです。つまり味のある文章にするには自身の鏡でもあるAIをなにげに擬人化とかした方が面白いということみたいです(^^;) こういうところで個性が出てくるみたいですね。対話してると飽きないですよ(^^;)
そもそも私はまるっと文章書いてと頼んだことないです。対話の引用はいつもやってますけど、別に秘密にしないといけない内容でもないので、サンプルとして見ていただけても嬉しいです(^^) そのAIが創作っていうのはやっぱり私も創作に向いてるってことかもしれません。

過程を楽しむ旅
いまはどこにも行けないけど、働けていたころはそれなりに旅行もしてました。ずっとパニック障害はあって、ましになったり、強くなったりしていて波がありましたが、家族の存在が精神安定剤になったので、よく家族旅行もしてました。国内ですが、不安は大きかったけど何度か飛行機にも乗りました。これも家族が精神安定剤(^^;)
弟もパニック障害だったので、その当時は一人で留守番も無理で、仕方なく父が一緒に家に残ってくれたりしました。
もうね、飛行機に乗るときは「いつ死んでもいいです」っていう大げさな覚悟をしているわけです。航空会社にとってはパニックのある人は乗らないでって言われたりするけど…。私のパニック発作の時の覚悟は「ここで死んでもいい」と言う覚悟と、家族の病院の付き添いの時には「ここは病院だから、なにかあってもなんとかなる」というという言い聞かせでした。これ結構自己暗示になった気がします(^^;)
いや、でも飛行機の窓から見る光景が素晴らしかったので、それでもう満足出来た感じですね(^^;)
あと、前にも書いたかもしれませんが、夕間暮れに電車の窓から見る灯ともしごろの風景も好きです。家の明かりが増えていく風景ね。
どこかに行く、というと地図とガイドブックと時刻表とで、先に旅のシュミレーションをするのも、帰ってから振り返るのも楽しかったです。旅の前が1/3、旅そのものが1/3、振り返りが1/3、という感じでした。いまでも地図を見るのは大好きです(^^;) 準備も振り返って思い出すのも楽しさの一部というのがありますね。たまにしか出来ないから余計に楽しいです。
「過程を楽しむ」というのはAIには代替不可能な楽しみです。そういえば創作もそうですね。しんどさも大きいけど、いろんな段階に楽しみがあるから…それってまるで人生の縮図なのかもしれませんね(^^;)
私って助手席で地図を広げてナビしたり、展覧会から帰ってゆっくりとお気に入りの作品について調べたり、そういうのが好きなんですよね(^^;) 急がない、あんまり動かない旅の時間の楽しみかたです。行動できないわりに自分なりの楽しみ方もあるものですね(^^;) 温泉は露天風呂がベストです。首から上が暑いとしんどいから。(いつも母と露天風呂一択でした)
行きたいと思って計画を立てて、いけなかったところはいっぱいあるけど、意外と残念感がないのは1/3を前の計画で楽しめたからかもしれません(^^) お仕着せないのがいいのかな、と思います。

◆AI による概要
「灯ともしごろの郷愁」は、夕暮れ時、あたりにぽつぽつと灯りがともり始める頃に感じる、切なく、懐かしい気持ちを表現した言葉です。単なる「懐かしさ」ではなく、一日が終わろうとする時間帯特有の、感傷的な情景が込められています。
「灯ともしごろの郷愁」が呼び起こす情景
-
夕暮れの光と影: 太陽が沈み、昼間の明るさが薄れていく中で、家々の窓や街灯に温かい光がともる。その光と影のコントラストが、見る人の心に静かで穏やかな感情を呼び起こします。
-
昔の記憶: かつて子どもだった頃、夕飯を知らせる家族の声、家々の賑わい、懐かしい風景や匂いなど、遠い日の記憶が蘇ります。
-
時の流れ: 過ぎ去った時間への感傷や、戻ることのない日々を思う気持ちが強くなります。昔は自然の光と静かな灯火だけで過ごしていた時代があり、今は現代の光に覆われている、といった変化に思いを馳せることもあります。
-
人々の営み: 帰り道を急ぐ人々、家路につく家族、それぞれがそれぞれの場所で営みを始めようとする時間。その光景を眺めていると、温かさや切なさが入り混じった感情が生まれます。
この言葉が持つ魅力
「灯ともしごろの郷愁」は、夕暮れ時の雰囲気を巧みに捉え、五感に訴えかける表現です。誰もが一度は経験したことのある、センチメンタルな気持ちを喚起させる言葉として、文学作品や詩、音楽などでも用いられます。
「精神科に行って精神病が治ってるやつを見たこと無い」という理由から精神科は無意味なのだろうと思ってたんだけど、なんか最近「精神科から処方された薬を飲む事で病を小康状態に抑えてギリギリ生きれる」みたいな人達がいる事を理解して驚いた。
— 遊牧民 (@rockwell0000) 2025年10月2日
人生って一生勉強ですね。 https://t.co/MCzfzRtBVM
そうか、知らなかったんだ、当事者でなければそうかもね。まあ、でも知ってもらえたことは有り難いです(^^;) 病気とどう折り合いをつけるのかが大きな人生のテーマなんですね。寛解はあっても完治がないから「障害」なんです。
例えば、萩原朔太郎は、夕暮れ時の奈良の古都の骨董市にともる、宵の灯火の黄色い光に、いっそう侘しい情趣を感じている、と蕪村の句を引用しながら表現しています。このように、特定の場所や季節、光の加減が、郷愁の念をより強く感じさせるのです。
なかなか思ったような光景になっていません。まあ一番ましなのが露店風呂かなあ、と言う感じです。まあ、なんとなくそれっぽくで(^^;)


