でも嘆くことはない いい遺伝もたくさんあるから
昔はいまほど精神科の敷居が低くなかったので、誰もが気軽に通える場所ではなかったと思います。
母が若い頃、昭和40年ごろでもそうで、母はかかりつけの内科の先生に「あんたの場合はもう精神科に行くか出家するかしないと駄目だと思う」と言われていました。
発症の原因は上京区の家が借家で、大家さんにいきなり出てくれと言われて、居住権を盾にして裁判所に通いつつ、転居先を捜したりしていたせいだ、と言ってました。家の問題が相当ストレスだったようです。
で、30代半ばでうつか双極性障害を発症。精神科には晩年まで通いませんでした。
まあ、でも母もちょっと過敏傾向があって、私ともよく似ていました。
ひいおばあちゃんのこと
私が3歳の時に亡くなった母方の曽祖母もおそらく双極性障害であったと推測されます。若いころからよく寝込んでいて、曽祖父は外に女の人を作ったとか話を聞いています。(曽祖父は40歳で糖尿病で亡くなっています)
でも結構なやり手だったようで、曽祖父亡きあと、工場とか切り回していて、80いくつまで生きました。優しいしっかりもので、よく気が利いて親切で、後年、母が「大好きなおばあちゃんだった」と話していました。
まだ老齢年金とかもなかった時代ですしね。丁稚さんとか雇って働いてもらうほどしっかりやっていたんだと思います。
母のこと
その母もやはり双極性障害だと思われるけど、やはり外の人から見ると相当頑張り屋だったみたいです。母を知る人で母のことを悪く言う人は身内にも他人にも誰もおらず、祖母も心から嫁に感謝して亡くなった経緯があります。
曽祖母も母も家のなかではぐったりしていても(母など私らが帰宅すると顔を見ただけで不調がわかったし)、外に出るとしっかりする傾向があって、ネガティブではなかったようです。症状からくるネガティブさは仕方がないとしても、そのネガティブに負けて死のうとかはしなかっただけ、良かったんじゃないでしょうか? (^_^;)
そのへんを遺伝的に見ていると、どうもこの持病があると負けず嫌いになる傾向があるような気がします。それも女性はね。
弟はそんな感じではないが、母などは家の中では寝込んでいても外面がいいというか、やるべきことをきちんとやる傾向が強かったのかもしれないです。
負けず嫌いはネガティブも嫌い
多分私もその血は引いてます。なんとなく負けず嫌い。いくらしんどくてもやるべきことはきっちりやらないと気がすまないあたり… (ーー;)
まあ、愚痴はこぼしてますが、最低限のやることはやる。母は生徒会役員だの級長だのやってたし、そういう役回り。
ほどほどの責任感が支えになるのかも?という微妙なところですね。しんどいくせにやっちゃうのがなあ。…遺伝だなあ… (*-д-)-з 強い女性代々かもしれない。
ちなみに曽祖母は明治生まれです。明治の女性は芯が一本通った凛としたところがある印象。父方の祖母も実家の環境からして無学でしたが、決して愚かではありませんでした。…これは父方の祖母ですが、学校に行っていなくても独学で新聞が読めるようになっていたから努力した人でした。
もうみな故人ですけど。ご先祖さんてすごいのよ。私は頭が上がりません (^_^;)(いま、誰かが「うそやろ?」って言った気がするけど (^_^;)
遺伝は悪いところの方が目立つけど、本当はいいところもいっぱい受け継いでいるんですよね。そういうご先祖さんは私の誇りでもあります。これは本心やからね (^_^;)
取りあえず、これを観ているとすごい幸せを感じる私 (^_^;)
メダリスト・オン・アイス2019 羽生結弦EX「SEIMEI」&アンコール「Otonal」
自分の幸せを見つけやすい人は他人を幸せにする才能があるそうだ。これはわかりやすいことで、どこにフォーカスするか?という視点のコツがわかっているから。目の前にあるひとつのことでも見方によって全然違って見えることを熟知しているから (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年1月5日