病名は道を示す地図
うつの日内変動らしく、朝は最悪、夜はちょっとまし、という感じになっています。
だから予約投稿です。
昨日、見つけたつぶやきで、なるほどそのとおりだと思ったのがこちら。
地図を作ると、どちらへどう行こうかという目的や行程が明確になるので、仮に、「あ、これ道を間違えてたわ」と気付いても、途中で進路変更ややりなおしがとても楽になるし、まあ地図自体が仮に違っていたとしても、別の地図でのやり直しがたやすくなっているはずだし…。
そういう「地図」を作るために私は自己分析が好きなのかもしれない、と思った次第です。
だって本当にもう「ざわざわ感」では悩んでいませんし…。次からも悩む必要ない要素になります。こういうのってパニック障害なんかの治療でもすごく有意義なんですよね。不安や悩みを減らす地図って本当に大事だと思います。
私は他の病気、精神疾患以外のことについてもほとんどショックを受けないのは、この「具体的な対処法が見えてわかってくる」からかなあ、と思います。
受け継いだもの
今回、身体的にものすごく疲労感が強かったので、余計に「え〜?両方なのか?」と思ったところはありますが、すでに希死念慮そのものからはいくらか距離を置くことが出来ています。
こういうしんどさは母方の曽祖母も母も経験したのだと思っています、でなければ「健康な1年」というセリフも出てこないだろうなあ、と思っています。曽祖母も母も、ずっと調子の悪さを抱えて、それでもとても頑張っていた人たちです。
曽祖母なんか明治生まれですけど、日頃頻繁に具合が悪くて寝込んでいて、曽祖父は外に女の人を作って、40歳前後で糖尿病が悪化して亡くなったそうですから、そのあとがものすごく大変だったんだろうな、と思います。
私の体質的なものはどう考えても曽祖母→母→私、と受け継いでますね。おそらく双極性障害も。
それでも曽祖母は子供を育てつつ、工場を切り盛りしていたそうですし、決して負けてはいなかった人だと思います。
その曽祖母が「大好きやった」という母も、睡眠不足で新婚旅行先の宿で錯乱状態になったらしいですから、やっぱりいろいろあったんだと思います。
それでも母も伯父の会社で長くパートで働いていたし、やめてからも内職で部品の検品などもしていたし、並行して編み物や和裁や洋裁や、いろいろやった人でした。
私や弟が小さいころは着る服は全部母の手作りでした。もののない時代とは言え、よくあれだけ作ってくれたと振り返っても感心します。私のハンドメイド好きとハンドメイド至上主義な価値観はあきらかに母の影響ですね。
曽祖母も母も具合の悪さを抱えながら、でも負けていなかったあたりは…やっぱりその血を私も引いてるかな?と思います。なぜか女性の方に体質の影響は強く出るみたいです。(でもこんなにむくみがひどいのは私だけかもしれませんが…)
そういうことを認識しないまま、幼児の時に自分の遺伝子は残したくない、と思ったのは本能的なものかもしれませんが…。いま、自分が辛いと、やっぱりそういう決断をして(そこまで重要だとは思っていないにしても)良かったかなあ、と思います。出来るなら、子孫にこういう辛い思いをさせたくないなあ、と思うので…。まあ、いいところもあるんでしょうけどね… (^_^;)
あとは甥と姪の遺伝子の中になにがどう隠れているかはわかりませんが、これはもう運命だと思って気にしないことにします、無意識にしろ、とにかくひとつ先の不安は食い止めたような気もしますし…。
個人的なことだけど、個人的じゃないことでもある
私がこういう体質なもので、子供の頃からずっと生と死について考えて来ましたが、ものすごく慎重になるのがやはり尊厳死とか安楽死の問題でしょう。
一見、個人的な選択でしかないように思えるかもしれませんが、このテーマはものすごく深くて、時代を行きつ戻りつして、ナチスドイツの優生思想や、現在の人種差別問題とも深く関係しています。個人的なようで、全然個人的じゃないんですね。
そこまで深く広く慎重に考えないと、我々は何度でもそういう過ちを繰り返してしまいます。相模原事件のように。生命の重さにどれだけの違いがあるでしょうか?
体調の悪さとか、こういう精神疾患とか、非常に個人的なことではありますが、実はもっと広い世界の深刻な問題と結びついていることを忘れてはいけないと思います。
…そういうことも思うと、私も「自分だけのようで、実は自分だけじゃない生命がある」ということを痛感するのでした。フラクタルな構造になっているところってあるよなあ、と実感しています。