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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

子供の頃から常に「死」について考えてきた

 

そろそろタブー視はやめたほうがいいと思う

 

昨日の介護関係の話から続きます。

 

我が家は「病気や死について話題にすることがタブーではなかった」ということですが、そもそも私自身が子供の頃から弱かったというのもあって、しばしば「死について考えている子供」でもあったのですね。こういう子供はあんまりいないかもしれませんが…。

 

5、6歳の頃から入院中のベッドの上で「死ぬってどういうことだろう?」と思っていました。子供は根源的な恐怖を知っているから、その頃の死に対する思いは半ばは不思議で、半ばは恐怖だったかもしれません。

 

 

家族体験の「死」祖父の場合

 

9歳の時に祖父が亡くなりました。

 

発見した時はすでに末期の直腸ガンで、手の打ちようがない、というので、自宅で半月寝て、そして亡くなりました。祖父が寝ていたのは1階の、今私が寝ている部屋ですが、私は二階に寝ていて、それでも祖父が亡くなった時(夜でした)泣いていたのを覚えています。

 

その当時はまだ家で亡くなるケースが少なくなかったのです。以後、当然のことながら、葬儀からなにから全部自宅でやりましたので、「人が亡くなるとどうするのか」というのもひととおり体験しました。

 

その頃はまだ死は怖かったですね。「死への恐怖」は13歳ごろまで続きました。

 

それが一転、怖いと感じなくなったのは、ちょうど思春期を迎えて月経前症候群PMS)/月経前不機嫌性障害(PMDD)で、毎月のように厭世観や「死にたい気持ち(希死念慮ほど重篤ではない)」に襲われるようになって、それ以前よりも死が身近に感じられるようになったからです。

 

 

家族体験の「死」祖母の場合

 

祖母が亡くなったのは私が26、7歳の頃で老人病院での死でしたが、家族全員が臨終に立ち会って、静かに息を引きとるのを見てから、私が上を見てキョロキョロしているので、母が不思議がったため、「いや、おばあちゃん、そのへんで見てるのと違うか、と思って」

 

両親が病院の片づけや精算を済ませているあいだ、「おばあちゃん、一緒に帰ろう」と私と弟は先に帰宅していました。夜中の3時頃でした。遺体が帰宅したのは朝でしたが、祖母の魂は私と一緒に先に帰宅している、という気がしたので…。

 

このころにはすでに霊的な世界の存在を感じていたようです。祖母の葬儀も自宅でやりました。葬儀のあと、四十九日が済むまで、やはりよく祭壇の前で祖母ととりとめなく思い出話をしていました。…なんか、そういう存在なんですよね。見えなくても自然に当たり前にそこにいるみたいな感覚。

 

霊的な感覚が強くなると死ぬのが怖くなくなるんですよね。それと同時に「どうして自殺はよくないのか?」ということもおのずとわかってきます。

 

まあ、それでも相変わらず、体調も精神面の不安定さもあるけれども、だからこそ、「死について考えること」もずーっと続いていて、私にはそれが当たり前のことになっていました。

 

それで両親ともいろんな話をしましたし、両親も自分なりに興味を持って本を読んだりテレビを見たりしていました。なんとなく私が家族に影響を及ぼした気がしないでもありませんが、そういう目に見えない世界の話や宗教の話や哲学的なことに至るまで、非常に真面目に受け止めて聞いてくれた両親でした。

 

 

 

父の死と自分の病気と視点の変化

 

で、父の介護の前あたりから、いや、この病気がまだ「うつ病」という診断だったころからかもしれませんが、私の視点は未来ではなくて「死の瞬間から振り返る」ものに変化していきます。

 

「もしも明日死ぬとしたら」と仮定すると、なにを一番になすべきか、なにを最も大切にするべきか、そういうことが鮮明に見えてきますし、ある種の「腹が据わる」感覚がありますね。

 

なんとなく検索してみたら、こういうページに出会いました。

 

tabi-labo.com

 

01.自分の物語を俯瞰的に考えることができる

02.八方美人なんて必要ない  本当に大切な人と付き合える

03.お金を無駄に溜めないで自分の投資のために使える

04.失敗や挑戦に怖がらなくなる

05.常に、死ぬ気で。ベストを尽くす

06.他人に期待するのではなく 自分をもっと信じるようになる

07.小さなことにこだわらず 無駄に汗を流さない

08.幸せになることに集中できる

09.やるべきことでなく やりたいことに没頭できる

 

…うん、そうそう、こんな感じ。

 

あと個人的に付け加えるなら、「やらなくてもいい回り道を教えることが出来る」とか、「視点の位置を教える事が出来る」というのもありますが、まあ、これはその人が自分で見つけないと意味がないこともあるんで、微妙ですけどね。

 

 

 

普通は「死を考える」とマイナーで暗くなると思われるでしょうが、私も含めて逆に明るくなれるみたいですね。くよくよしても仕様がない、とか迷いが少なくなるのかな?どこに力を尽くすべきかも見えているし。

 

あとはなるべく楽しくいい思い出を紡ぎたいというだけかな。すなわち、「よき死を考えることはよく生きること」私を愛してくれた亡き家族達から教わりました。

 

死の瞬間から振り返る私の人生、かなり幸せなはずだと思います (^_^)

 

 

もしも明日死ぬとしたら…。この人生でお世話になった人々、仲良くしてくれた人々にお礼を言って、あとはいつもと同じように淡々と過ごしたい。

悔いを残すような生き方なんかしてこなかったから (^_^)

このままで充分に幸せだと思う。

 

 

 

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