今週は細かい用事が立て込んでいるので、ちょっと忙しくなりそうです。
明日は受診なので、5時起きでゆるゆる準備をしないといけませんし…。土曜日は母の特養でのカンファレンスがありますし…。それまで会いに行くのは延ばそうかなあ…。年金事務所と区役所にも用事があって行かないといけませんし…。なんだか微妙に多忙なような…?1日に多くのことを片付けるのは無理なんで、本当にひとつずつ片付けていくしかありません。頑張れ、私…(ーー;)
で、今日はちょっと重いテーマになるかもしれないんですが…。
母が特養に入所したのが、去年の4月10日でしたので、丸1年と一月になります。まあ、入所させるまでには私もものすごく悩んだんですけどね。
父の時は同じ要介護5といっても、母とふたりで協力すればおむつ交換も可能でしたし、食事は胃ろうだったので、むしろ扱いやすい部分がありました。たまにはずれてビショビショで全着替えとか。泣きたいこともあったけど…。でもそんなに悲壮なことはなかったですね。
ものすごく安らかに眠るように穏やかに旅立たせて上げる事が出来て、まったく悔いはありません。
思い出すと楽しかったことばかり。苦労の記憶はやっぱり忘れたらしいです (^_^;) 大変な事にかわりはなかったですが、でも得たものが非常に大きかった3年10カ月でしたので、そのあいだ私は学校に行くよりも多くのことを学びました。それと非常に良き人とのご縁にも恵まれましたしね。なんとなく人間としてレベルアップしたような感じです。
母は日頃はバルーンカテーテルを入れているために、朝夕くらいに尿を捨てるくらいでよかったですが、いかんせん尿路感染症になりやすいのが困りました。食事も口からですが、だんだん噛めなくなったり食欲が落ちたりで難しかったですね。
それで私がこういう病気だから、しんどい時は本当に動けなくて、だからずーっと悩んでいて、やっと決心がついて、ケアマネさんに「すみません。申し込みしてください」と言ったのが一昨年の秋でしたから、まあ、1年くらいは一人で、訪問看護師さんや入浴サービスの手を借りて頑張りました。…が、力尽きた… バタリ ....(o_ _)o...〜〜〜†
申し込みから半年くらい待って、やっと入所が決定。医療的な連携がいい今の特養一ヶ所しか申し込みしていなかったんですけどね。
で、入所から1年一カ月。そのあいだ弟が一度も母の所に顔を見せに行かないのですね。
「私と一緒にタクシーで行けばすぐだよ。距離的にはクリニックに行くのとおんなじ」と言うと「距離の問題と違う」と言います。
弟の担当の訪問看護師さんが聞き出してくださった話では「弟さんはお母さんのことが大好きで、だからお母さんが変わり果てた姿になった、というのを自分で見たら、精神的ダメージが大きすぎて駄目、とかおっしゃってます」とのことです。
これが私にはわからない。私は大事な家族のことはどういう現実があってもしっかり最後まで眼を閉じないで見つめていこうと思っているので、親や自分の老いに伴う変化とか、死についても眼を逸らさない覚悟は常に出来ていると思います。
自分なりの死生観が確立しているってことも大きいかもしれません。死生観が確立すると人は強くなると思うし。
だから父を看取る時も最期のひと息まで、息を引き取ってからも手を離さずにいたし、棺の蓋が閉まるまで頬ずりして「言いたいことがあったら夢で伝えてね」と言っていました。(出てきてくれたのは1、2度だけど)お骨上げの時には骨のカケラを食べたいとまで思ったくらいです。
個人的には「病気」や「死」についてのタブーはないと思います。たとえ見知らぬ人であってもそばで看取って上げる事は出来ると思いますし…。
でも弟はそうじゃないのね。「死」以前の「病気や老いに対する変化」の段階から見つめることが出来ずにいるのですね。姉弟であっても違うんですよ。
もしかしたら自分の「病気」に対する受け止め方や受け入れ方も違うのかもしれません。そのあたりが変化すると病気に対する対応からして違ってくると思うんですが…。でもそれって私が説明したところで理解できるものではないのだと思います。自分がひとつひとつ経験しながら納得しながら学んでいくしかない過程だと思います。
それこそが人生のテーマだと私は感じているけれど…。
母も弟のそういうところは理解しているようで、決して無理は言いません。むしろ母の方が弟のことを心配しています。なんとか怖れや不安を手放して(これはパニック克服の過程とも同じに思えます)存分に母に会いに行って欲しいと願っています。
自分が出来る事だから、ついついもどかしく思うんですが、これはやはり弟個人が克服すべきことだから、私には限界があるのかもしれません。…でももどかしいけどね (ーー;)