お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

生きるために必要な核は自ら探してきた感じ

 

いままで生きてきて紡いだ人生観


宗教ではないですが、私は個人的に輪廻転生を仮定しています。肉体が滅びても魂が生まれ変わると仮定すると、この人生の多くの苦難、病気や老いや艱難辛苦も次の世のために必要なことかもね、と思った方が精神的に楽だと気付いたからです。生きていると本当にあまたの理不尽にぶつかるから。

 

どうしてこんなに辛い想いをしないといけないんだろう?と考えた時に、いまの肉体の生命ある期間だけじゃなくて、過去世とか未来世を仮定してみたら、その悩みがわかりやすく解けていった感があります。

 

生涯の物差しを肉体のみに限定しなければ、わりと素直に呑み込めるなあ、と思ったからです。

 

でもこれは私個人が辿り着いたことなので、他の誰にも信じろとはいいません。私の人生にちょうど合った処方箋のようなものです。だから万人に効果があるかどうかわかりませんし。

 

ずっと悩みながら生きてきたから。

 

個人的にはでも効果はかなりあります (^_^;) 物事のスケールは大きくしたほうが楽。狭い視野に捕われると苦しくなるばかりなので…。

 

その狭い視野の先に希死念慮があるんですね。

 

 

 

たぶん現世が辛い人ほどそういう心境になるんだと思います。辛いけど、それでも生きないといけない、と思うと、わずかな救いが残っているのは魂の存続に関わる部分だけなんですね。人間、つくづく物質だけでは駄目なんだなあ、と思います。

 

何千年も昔から人は苦悩してきたから、宗教はもちろん、哲学や芸術も生まれて繋いでこれたんだと思います。


魂が震えるような歓びを求めて生きたい。
…とか、また高いハードルを設定してしまう (^_^;)

 

 

 

布教(?)はしたくない


宗教の場合は教えは「布教しなさい」と言われるんですよね。私はそれが嫌いです。

 

うちは大正時代から曽祖父が日蓮正宗を信心していました。日蓮正宗の場合は「布教=折伏(しゃくふく)」と言います。学会ではありません。

 

ひいじいちゃんの入信のきっかけはわかりませんが、祖母亡きあと、母が仕方なくお寺の班の役目をしていましたが、お寺にもいろいろ問題があってね。

 

高齢者が多いのに洋式トイレがない。母も膝を痛めていたので、直訴して洋式トイレを作ってもらいました。

 

それとお寺で発行している新聞を班長が班員に配って歩く、というような決りがあって、当初母が自腹で切手を買って、郵送していましたが、私が横から「いつまでも非効率なことをやってないで、臨時にバイトでも雇ってそういう発送の準備を頼めばいいのに」と提案したり。

 

お寺にしてみれば、そういう一連の行為が信仰に値するのかもしれませんが、私から見ると無駄としか思えなくて。これものちに切手代の支払いが叶いましたが。

 

 

お寺も世襲制ではなかったので、先代の住職が亡くなられて、後継者問題で裁判沙汰になってるし、いつまでのがたがたやってるけど、日本国内では大地震が続いて、他にも自然災害が相次いでいるのに、亡くなった人の供養も大事かもしれないけど、まず生きてこの世で苦労している人を救わないでなにをやってるのよ!と憤った次第。

 

そういうことを思うと、もうもとから心に響かないお寺に関わる義理はなく、お墓はあったけど「すみません。檀家やめます」と言って辞めました。

 

先祖の意志を大切にするのも大事だけど、いま生きている人間の意思は最優先でないと、と、もろもろ私の死生観からきています。

 

 

私はそういう私なりのものを持っていますが、これを布教したいとはまったく思いません。どこかで真理みたいなものと重なることはあると思いますが、私がいままで生きていて、やっと手にしたもので、これがあるからこそ、自死を選ばずに生き延びてこれた事実もあります。

 

こういうことについて、生前の両親とはごく当たり前に話題にしていました。それぞれが自分の体験や読書などから、よく似た感慨や感想を持ち寄る感じですね。それが日常茶飯事なので、我が家ではすごく当たり前になっていました。

 

なんかさ、そういう家族なんですよ。振り返ると不思議なんですが。

 

ああ、それでもってみんなして教師嫌い、教師不信でしたね。真面目に対応するほど相手の酷さが見えるので、家族揃って教師嫌い。(ちなみに成績が悪いわけではない)人としての出来なさ加減がわかってしまうので。

 

宗教者にしろ教師にしろ聖職と呼ばれる職ほど「本物」に出会う機会が少なく、そういう実情の中で「恩師」と呼べるような人に出会えたら幸福なことだと思います。(でもなあ、本当に少ないと思うよ)

 

私は出会えませんでした。

 

 

自分で探すのがいいんだよ

 

まあ、参考になるものを求める人は書物などからその人が必要なものに辿り着けると思いますが、その過程が多分大事なんだと思います。

 

ヒントくらいは話せますが、押し付けは出来ませんし、したくないです。

 

いずれにしても盲信は危険だからやめたほうがいいです。自分で学んで考えて、納得出来て腑に落ちたものを血肉にしていくといいと思います。

 

数年前から読む本のほとんどに既視感があるようになって、一時期瞑想でいうところの「魔境」ではないかと危惧して疑心暗鬼になったりもしましたが、さすがにこの頃慣れました。もう気にしなくなりました(^_^;)

 

ネットでの検索も、求める深い答えに最短距離でたどり着くようになったので、そういう回路ができたのかもしれません。これも慣れなんでしょうけどね(^_^;)

 

 

 

あ、ちなみに私の意識の中の「Something Great」いつも「天」と表現しているものは既存の宗教の神仏のさらに大元にあるという感じがします。ほとんど宇宙、ですね (^_^;)

 

どこか高いところに天の眼がある、と思うと悪いことは出来ないし、いつも勇気づけられる気がします。

 

 

 

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おまけ。

後輩から憧れられてる羽生さん、すごいな。きっと嬉しいと思うな (^_^)

 

「継承」という言葉に深い意義を感じます。

 

 

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