10万通を越えていた(-_-;)
昨日、ウェブメールのパスワードが速達で送られて来ました。auはなぜか郵便で来るんですよね。
で、早速そのパスワードで開いてみたら、なんと10万5千通あまりのメールが溜まっておりました。多すぎて読み込みにもすごく時間がかかります(>_<)
とてもじゃないけど数日で整理が可能な量ではありませんので、もうゆっくりやるつもりです。でも新しいメールを確認することが出来たので、ちょっとやれやれかな。ダイレクトメールがほとんどですが。
メーラーを開くのはある程度整理が出来てからにします。でもウェブメールでもメールの送受信が可能になりました(^_^;) ほっとしました。
よく溜めたと呆れますが、古いものは2015年のもありました。
抗酒剤が効いてない??
弟の件ではいろんな方に相談にのっていただいているのですが、どうも抗酒剤があまり効いていない感じです。でもわずかにしろお酒が入れば悪酔い症状を起こすらしいのですが、そういうのもなくて。
暴力を奮うでなく、他人に迷惑をかけるでもない(いまのところは)ので、強制的に入院させることも出来ません。断酒のカリキュラムを持つ、専門の病院でも、自助グループでも「やめる」という強い本人の意志がないと駄目なんですね。
「せっかく入院したのになんで帰ってきたんですか?」と言われましたが、私もわかりません。普通あそこまで行けば最後までやろうと思わないのかなあ?
任意入院だから強制力はないし、本人の意志だけが頼り。まあ、入院してダイエットしなさいと言われたら、頑張れる人は少なくないかと思いますが、そこはそれアルコールの依存性なんですよね…(´。`;)
私の意志ではどうにも出来ないからもどかしい限りです(-_-;)
そういえば、2月の鼻出血はかなり怖かったようです。父も50代のときに仮面うつ病で胃潰瘍になって、禁煙しないと胃に穴が開くよ、と言われてぴたっと禁煙しました。そういう怖さがやめるきっかけなのかな!とふと思っています。
あとどんな病気と対峙するにしても「生き甲斐」は大事ですよね。それがあるから頑張れるし、支えになるし励みにもなるという…。
私も基本的にオタクだから、ものすごい限られた範囲でも、他人から理解されづらくても「推しがいるから頑張れる」というのはよくわかります。推しのためでも家族のためでも夢のためでもいい。人間には自発的に動くためのパワーとエネルギーになるのかな。
すごく大事ですね。弟にもそういうものが見つかればいいのにな。願っています。
地獄の沙汰も金次第、みたいな…(-_-;)
Amazonの棺の件、今更流れを知ったけど、いわゆる「一般的な弔い」の価格設定を全体的にもうちょい下げて頂かないと、払えなくて困窮する人がホントに増えてるし、今後は更に増えていくと思うんだけどな。
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) 2020年10月6日
死んだ人のために使うお金で生きてる人がごはんを食べられないのは本末転倒ではないんだろか。
今仕事場でも、仏壇の始末に70万かかるらしいとか、そんな話題で皆暗くなっててな。
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) 2020年10月6日
いや、私は昨年仏壇の処分をしたんですが、供養も含めて(そのかわりよそのお宅の仏壇も一緒に)3万くらいで処分してくださいました。うちはお寺との関わりがなかったので、お寺に頼むと高くなると思われます。で、引っ越していまはミニミニ祭壇を置いています。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年10月6日
3万!
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) 2020年10月6日
アシさん家の話はなんなのか!
最初200万と言われて、交渉でやっと70万だそうですが!
お寺によってふっかけすごいですね…。
ほんとにすごい。引き続きに墓じまいの話題も出てきますが、やはりこの話題のお寺はすごいらしい…(-_-;)
私はお寺の姿勢に疑問を感じてお寺は脱退しました。どのみち跡継ぎもいませんし。両親の遺骨は市の共同墓地(納骨堂)に。永代供養なので自分もいつかはそこへと思っています。市の墓地が大人気で驚きます。いまは子供がいないとそういう流れになりつつあるのかもしれません(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年10月6日
本来、寺の檀家を止めるのに金銭は不要です。それまでお世話になったお礼の「お気持ち」程度のことはありますが。寺に先祖や家族の位牌を預けて供養してもらっているとか墓所がある場合は、それをどうするか交渉と費用が必要ですけど。アシさんのケースは、あまりよいお寺さんでは無いように思われます
— ふぞう (@TNKeinsky) 2020年10月6日
お寺をやめるのにお金なんか払ってないよ。
檀家だった頃に母が不本意ながらお寺の役員をやっていて、色々と改善要求をして実際に変えてきた経緯もありました。だから「うるさい奴」だと思われていたのかもしれません。だからわりとすんなりやめられたのかも(^_^;) なんとなく今の日本を象徴していそうにも思います。
地方によって、仏壇、お墓関係に人間関係のしがらみがあるところは大変だなあ。なにごとにつけてもよくわからないお金を要求される。
母と私とでそれを変えて来たので、供養の本質がわかったら、公営墓地でも納骨堂でも十分なんですね。「ここに私はいません」と母がよく歌ってたし(^_^;)
私も一応あの世のご先祖さんに「これくらいやったらかまへんやろうか?」という交渉はしました。で、了承してくれたご先祖さんのお陰で、背中を押されていまここにこうしています(^_^;)
東日本大震災は人の魂を揺さぶった
もともと宗教に対してはシビアな目で見ていた私ですが、大きな変化のきっかけになったのが東日本大震災。
雪の中を被災者を供養しながらあるく雲水の写真が印象に残っていますが、自分もいろいろ思うところあって、被害を受けて亡くなられた方々の供養と同時に、生き残った人たちも救済して欲しいと願ったんです。
生き残って取り残された人たちの苦悩を救ってくれよ。それが宗教の役目やろ!と思った。
うちが檀家だったお寺はその時に跡継ぎ争いで裁判沙汰になってて(ちなみに世襲制ではありませんでした)揉めていて、なにを情けないことをやっているのか、とほとほと呆れて嫌になって電話しました。「檀家やめます」
しばらくあとで役員さんがご本尊を取りに来られました。それでおしまい。
あ、8年くらい経って一度だけ電話があったかな。墓じまいの件で。正直に「すみませんが、お金がありません」と話したら以後なにもないです。嘘じゃなくて本当のことだし。
なんかね、あからさまに普通じゃないお金儲けの宗教がとことん嫌なわけです。
生きる人のためであって欲しい、という願いはサイトhasunohaで少しだけほっとしましたが。
そういえば以前母に私の学校時代いわば天敵だった先生方はどういうふうにしておられたんだろう?とふと聞いてみたことがありました。
母曰く「戦々恐々としたはったわ(^_^;)」だそうで、まあおとなしいし、静かだしどこにそういう威圧感みたいなものがあるのよ?と思ったことでした。いまでも不思議です。
男性教師はさほどでもないけど、女性教師には多分嫌われてたと思います。